「丁寧に生きる」という言葉を聞いて、あなたはどんな生き方を想像しますか?
梅雨に入り、蒸し暑い6月のある土曜日。
なぜか無性に、松浦弥太郎さんの『今日もていねいに。』を読み返したくなり、手に取りました。
一度読んだことがあるはずでしたが、当時は大事なことを読み取れていなかったようです。
「ああ、なんだ。空回りしていた原因は、これだったか。」
そんな感覚でした。
丁寧に生きようと思った
わたしのこれまでの人生には様々な出来事がありました。
社会に出て仕事に悩み転職を2回経験し、自由を求めて起業を志してすぐに挫折。夫婦関係はうまくいかず、いまは独身生活をしています。
それでも、より良い人生を生きることを常に望み、そのために本を読んで勉強したり自分なりに行動をしてきたつもりでしたが、いつも空回りをしていました。
前に進んでいない感覚があって、焦っていたし、苦しかったです。
『今日もていねいに。』を読み直して思い出したのは、人生が少しずつ好転しはじめたのは、食事がきっかけだったということ。
以前は、食事とは1日3食食べるものであり、とにかく何でもいいからお腹が満たされるまで食べればいいと思っていたのですが、あるときから筋トレにハマり、「自分のカラダは食べ物によってできている」ということを強く意識するようになったんです。
外食はコンビニではなく、できるだけ愛情のこもった手料理をつくってくれるお店に通うようになりました。
家で自炊をするようになり。
食材もできるだけ信頼できるものを買うようになり。
よく噛み、時間をかけて、味わって食事をすることを心掛けるようになり。
気づけば、自分でコーヒー豆を焙煎してみたり、自宅で本格的なスパイスカレーをつくるようになっていました。
いまは、カラダの中に取り入れるモノを、自らの手で選び、調理をし、食べることを楽しんでいます。
たったひとつのことに丁寧に向き合ったその先には、とても豊かな生活がありました。
そうか。「丁寧に生きる」か。
これを、日常生活のひとつひとつにあてはめてみよう。
毎日を丁寧に生きるために、いま行っていることを見つめなおそうと思いました。
「丁寧に生きる」の基本となるもの
「忙しいから、ひとつひとつ丁寧になんてできっこないよ」
おっしゃる通りです。
忙しいという漢字は、「心を亡くす」と書きます。
忙しいと、大切なことがなんなのかさえ、見えなくなってしまうんです。
ここで『今日もていねいに。』の一節を読んでみましょう。
たいそう忙しい日というのは、誰にでもあります。
たとえば資料をつくる締め切りだ、あるいは今日のうちに大量の洗濯をし、衣替えを済ませてしまいたいという具合です。
そんなとき、あなたはおそらく目の前の「いちばん忙しいこと」に集中するでしょう。何よりそれを優先し、ほかのことは、それなりにすませます。
無我夢中でパソコンにデータを入力していたら、同僚が困った顔で話しかけてきても、適当に返事をし、それなりにすませる。
集中して衣服の整理をしていたら、子どもが何か尋ねてきても上の空で、それなりに答える。
はたしてそれでいいのでしょうか?
「無視していないだけ、ましだ」と思うかもしれません。
それなりに済ませても、大きな影響は出ないように見えます。
しかし、あなたにとって、資料づくりと一緒に働く人はどちらが大切でしょう?
あなたにとって、衣替えは子どもよりも優先すべきことなのでしょうか?
『今日もていねいに。』(松浦弥太郎著) P135 「それなり」を捨てる より
あなたのその忙しさは、どこから生まれてくるのか?
一度立ち止まって考えてみると、面白い発見があるかもしれません。
「それなり」を捨てる
動くときも話すときも、すべての動作において心と身体をひとつにする、という意味の 「心身一如(しんしんいちにょ)」という仏教の言葉があります。
“「それなり」を捨てる” というのは、心身一如のことを言っているのではないでしょうか。
たとえば、「いってらっしゃい」という言葉は本来「気をつけて行って、無事に帰ってきてね」という意味を持っています。
ありがちなのは、
子どもの顔も見ずに食器を洗いながら言う「いってらっしゃい」とか、
早くオレを一人にしてくれ!と思いながら、ソファーで寝そべりながら親に向かって言う「いってらっしゃい」とか。
意味を知らずに心を込めずに発した言葉の記憶が、よみがえってきます。
他にも、
・なぜやるのか、納得しないままに仕事をしている
・機械的に工業的につくられた食べ物をそれとなく毎日食べる
・友達や家族の話をうわの空で聞いて、相づちだけはテンポよく打つ
・怒られないように、言われた通りに掃除をする
など、なんでも「それなり」にやれば目に見える形が生まれますが、心が入っていません。
丁寧に生きる基本は、目の前のものごとひとつひとつに心を込めるということ。
“「それなり」を捨てる”ことを意識して、毎日の暮らしを見つめてみましょう。
丁寧に暮らすことからはじめる
“「それなり」を捨てる”を基本として、「今日もていねいに。」の中から、私が心がけたいと思ったことを3つ紹介します。
心のこもった食事をする
人間は食べ物によってできています。
何も食べずに生きていくことはできません。
そんな大切な毎日の食事が、機械で効率よくつくられた、心のこもっていない食べ物で埋め尽くされていたらどうでしょうか?
絶対に自分でつくらなきゃいけないワケでもなく、お金のかかる高級レストランに行かなきゃいけないワケでもありません。
まずは身近にある、人が心を込めてつくってくれる食事がとれる場所を探してみましょう。
できたてのパスタを出してくれるカフェ、手作りの味噌汁とご飯と漬け物を出してくれる定食屋。
お金をかけなくても自分でつくらなくても、その気になって少し探せば、心のこもった食事をとる方法は身近に必ず見つかるはずです。
一日のはじまりに今日のやるべきことを書きだす
どうやら人間は忘れやすい生き物のようで、せっかく自分がやりたいと思った楽しいことでも、書いておかなければ忘れてしまいます。
毎朝一日のはじめに、やりたいと思ったこと、その日にやるべきことをリストアップしてみましょう。
そして、リストができあがったら簡単なことから実行していきます。
ここでポイントなのが、「持ち越している」という状態を自覚することなのだと松浦さんは言います。
今日できなかったことは、翌日に持ち越して、また翌日できなかったものはまた次の日に、、、と持ち越す。
人には、できなかったことを「なかったこと」にしてしまうクセがあるようで、そこで「やりたいけれど、できていない」と確認することで、自分のやりたいことややるべきことを丁寧に扱うことができます。
一日にひとつ、何かを学ぶ
松浦さんは「これができたらすてきだろうな、おもしろいだろうな、きっと新しい発見があるだろうな」と思うこと、小さくてもいいからひとつひとつを「自分プロジェクト」として立ち上げ、やり方を工夫しながら挑戦し、順番にクリアしていくことをオススメしています。
たとえば松浦さんは、「おいしいハーブティーを淹れること」を自分プロジェクトのひとつとして毎朝取り組んでいて、そう思うだけで、お茶を淹れるたった5分が、工夫と発見のひとときになると書いています。
自分で問題を設定して、自分で答えを見つけようと努力することで、毎日何かを学び取り、毎日前に進むことができます。
「慣れてきて、仕事や人間関係にも自分プロジェクトをつくれるようになれば、やがては自分の生き方を自分の手でコントロールできるようになる」
という松浦さんの言葉に、わたしはとても勇気づけられました。
丁寧に生きる瞬間を増やす
ザ・ブルーハーツの『夢』という歌の中に、
「あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたい」
って歌詞があります。
一度きりの人生、やりたいことはたくさんありますよね。
やりたいことを手あたり次第にやってきた中で、ひとつでも、ずっと続けていることがあるのだとしたら、その暮らしは豊かなのではないでしょうか。
また、たくさんのことはやってこなかったけど、ひとつのことをずっと続けているのだとしたら、その暮らしは豊かなものに違いありません。
丁寧に扱っているもの、丁寧に向き合っていること、丁寧に付き合っているひと。
それなりを断捨離して、一緒に「丁寧に生きる」瞬間を増やしていきませんか?
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動画版はこちら↓
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それでは、また!