自分で言いますが(笑)、ぼくはその場の空気を読むのがうまい方だと思います。
相手の動きを観察し、顔色を気にして、雰囲気から状態を読み取り、その人に合わせて行動する、というのを無意識にやっている気がします。
それはおそらくきっと、小学校時代に友達にいじめられて、人の顔色を気にしてビクビクしながら過ごしていた経験からきているもの。
自分を守るために、必要に迫られて必死に身につけた能力で。
ぼくの「その場の空気を読む」能力は、長年の習慣によって培われたものであり、獲得しようとした能力ではなく自然と身についたものなので、すごくもなんともないものだと自覚しています。
誰にだって、自分を掘り起こしてみると、そういう無意識のクセがひとつやふたつは見つかります。
でも、大切なのはその能力そのものではなく、その力をどう使うか?どう使おうとするか?です。
習慣やクセによって培われた能力は、使い方次第で、大切な人との良い人間関係を築くための最強のツールにもなれば弊害にもなるということがわかってきました。
それでは見ていきましょう。
人の状態が気になりすぎて参加者になれない
先日会社の会議に参加したときに、一緒に話をしていた人たちの顔色や反応が気になってしまいました。
参加している人の表情や発言から、「なんか参加者が自分ゴトになれていない気がする…」という勝手な解釈を持ってしまい、結果的に自分自身がその場の議題に参加できないという状態になりました。
黙っている人や消極的なことを言う人が気になってしまい、その場の目的を忘れて人のことばかり気にしている。
そうして、ここで自分の思うことや意見を言わなければならない!というタイミングを逃しました。
極端かもしれませんが、自分がひとりの参加者であることを放棄する行為であったと言えます。
相手の力を信じていない
会議のあとにその話を他の人に相談したところ、
「それは相手のことを信じていないってことじゃないか?」
と指摘され、ハッ!としました。
まず、空気を読んで、目の前にいる人が居心地が悪そうだと思っても、本当にそうなのかはわかりません。
たとえその人の気持ちがわかったとしても、その人の代わりにはなれません。
「よし!居心地を良くしてあげよう!」なんていうのは、傲慢であり、相手に失礼な態度です。
極端な話ですが、相手の課題に介入し何かをして「あげよう」とする行為は、相手がひとりの参加者としてそこに存在していることを否定する行為です。
空気を読める人が良い人間関係を築けない理由
自分がひとりの人間として存在していない感、相手の力を信じていない感は、本人はそんなこと思ってもいなけれど、おそらく態度で伝わってしまいます。
あえて強い言葉にすると、、、あなたはあなたのことを「子ども扱い」してくる人と良い人間関係を築くことができるか?という話です。
ぼく自身がしたことを誰かにされたら、なんだか嫌な気持ちになりそうです。
親子の関係を考えるとわかりやすいのですが、危ないから、こぼすから、まだできないから、、、と言って子ども扱いしていれば、子どもは失敗し成長する可能性を奪われてしまい、いつまでたっても自立できません。
空気を読むのはいいのですが、その力を、相手を子ども扱いするための道具として使ったら、大切な相手と良い人間関係を築けるわけがありませんよね。
空気を読めるヤツが良い人間関係を築く方法
簡単なことでした。
ただ、自分がひとりの人間として存在しようとすればいいのです。
わからないことや気になることがあれば質問し、納得いかないことは納得いかないと言い、思ったことをはっきりと言う。
そして、そのときに「空気を読む力」を使えばいいのかもしれません。
表情やその場の雰囲気を捉え、相手の状態や気持ちを尊重して、伝え方を考えて、伝える。
そんな風にできたら最高ですね。
まとめ
「空気を読み、自分を消して相手に合わせることができる」という人は、その能力の使い方次第で自分も相手も活かすことができます。
長年の習慣やクセは能力になります。
でもそれに無意識であると、能力の使い方は長年の習慣やクセに依存することになります。
自分の持っている能力を客観的に把握して、どんな使い方をしたいのかを考えれば、大切な相手とより良い人間関係を築く方法が見つかるかもしれません。
「空気を読むのがうまいヤツ」は、自分の存在を自分で認められていないがゆえに、相手の存在を認められていないのかもしれないなと、自分を振り返ってみて思いました。
「空気を読むのがうまいヤツ」は、無意識のクセに気づかなければ大切な人と良い人間関係を築くことができませんが、もしも気づくことができれば、大切な人との人間関係をもっともっと良くしていけるはずです。
それではー!