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今回はとりとめのないことをつらつらと書いてしまおうと思う。
私には尊敬する人がいて、その人はウチの親父とほぼ同じ歳だったことに最近気づいた。
その人が先日、ベビーブーム世代の過ごした時代の背景や反資本主義を叫んで学生運動に参加した時のことを話してくれた。
その話を聞いた日、会社から帰る車の中でぼんやり思い出していたら、自分の親父のことを思い出した。
私の親父も学生時代に学生運動に参加して、あんなことやった、こんなことやった、みたいな武勇伝を子どもの頃に聞いた記憶があったからだ。
子どもの頃だったので、私はまったく興味が持てず、その話についてはうっすらとしか記憶がない。
言っておくと題名にも書いた通り、私の親父は脳梗塞で倒れ、今は病院で寝たきりの状態だ。
倒れたのは、私がちょうど20歳になるかどうかという時だったと思う。
発見が遅くなってしまい、体の半分が麻痺状態になってしまった。
そんなこんなで親父は今、まともに話ができる状態ではない。
そーいえば親父も学生運動したって言ってたなー、と。もっと親父の昔話、聞きたかったなぁって思ったら、倒れた瞬間を見たわけでもないのに親父が倒れたときの映像が突然浮かんできた。その頃親父に降りかかっていた大変な出来事とか、1人で倒れたときの孤独や寂しさの感覚が何となく乗り移ってきた感じがした。
そうしたら、なんだか涙が止まらなくなってしまった。
あの頃。
オレは自分のことしか考えてなかったな。
成長してやっと大切なことがわかってきた今になって、フツフツと後悔が押し寄せる。
人生の中で、きっと後悔しないことなどないんだと思う。
だって目の前の何かを選択して生きていくんだから。
選択するということは何かを捨てるということだから。
ネガティブかもしれないけど、どちらの方が後悔しないのか、ということだけだ。
でもきっと、たくさん後悔をして、何を選ぶことが自分らしい生き方なのかを知っていくのだと思う。
心に突き刺さる後悔を、何度も、何度もして。
後悔を、強く意識するのだ。
私たちは、これまでの人生を「自ら選んできた」意識を持って見返す必要がある。
そして、これからの人生は全て自分の選択によって作られていくことを強く意識することが大切なんだ。
親父がまだ生きていてくれて、私の人生について示唆するもの。
それが何となく分かった気がした。
もし親父が死んでしまっていたら、気づかなかったかもしれない。
そんなことをふと思った。
それでは。