表現と言っても様々。
言葉、表情、体、絵、音楽、文字、文章、スポーツ、仕事、ダンス、、、他にもあるだろう。
それらは、ただ形や方法や手段としてあるのではなく、それぞれが心の中に持っていて見えないものを表に現すツールとしてこの世に存在してくれている。その表現者が「生きて」いれば、たとえ同じツールを使ったとしても同じ表現は1つとして生まれない。
何かをひとつのことを突きつめていくことは良いことだというのは、まさにここに理由がある。
自分にぴったりとマッチした、ひとつの表現ツールを時間を掛けて突きつめていくことで、心の中にある「表現したいもの」はより具体的に分かりやすく、表に現すことができるようになる。
そしてそれだけが、誰かの心を動かす。
だからもうね、なんだって良いんだ。
自分が好きで得意なことをどんどんやって、自分にあった表現ツールを見つけて、突きつめていけばいい。
大人がそうなれば、子どもたちも心からやりたいと思うことを見つけようとする。大人は、子どもが人生を掛けて何かを突きつめていくサポートがすんなりできる。
言葉でしか気持ちを表現できないと思いがちな世界、口数が少ない人は自己表現が下手とか自分の意見がないとか見られがちな世界。それは、世界が小さくなっていて、相手の表現に反応する感性が鈍っている証拠。
なにより大きく立ちはだかるのは、他人と同じでなければ拒絶される世界、大切な「本当の自分」を表現すること、つまり本当の意味で「生きる」ということを選択するためには大きな勇気が必要な世界。
でもそれは、誰かがあなたをコントロールしようとして作られている世界だ。
間違っててもいい。失敗してもいい。
ここぞというタイミングで、自分の直感を信じて、わき上がる疑問を大切にする。
他人の目を無視して、勇気を持って行動する決断をして、「本当の自分」を表現するべきだ。
というか、生きている以上、自分を世界に向かって表現しなければならない。
誰でもできる表現など、誰も、自分さえも望んではいない。
自分の人生を生きることができるのは自分しかいない。
表現しないということは、生きないということだ。
こみ上げる喜びや苦しみを表現するその瞬間のために、ツールを選び、腕を磨こう。
それではー!