【家族】本当に向き合うべき相手は誰なのか?

 
他人には優しくできるのに、家族には優しくできないことってありませんか?
 
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photo credit: angeloangelo via photopin cc

 

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私はあります。些細なことでも、赤の他人だと我慢できることが家族に言われると我慢できない時って結構あります。仕事とか日常生活でイライラしていると、どうでもいいことで悪態をついてしまったり、自分の責任でも家族のせいにして逃げようとしたり。

 

なぜ赤の他人に対して優しくできて、身近な家族に優しくできないのか?これって相手との「距離感」がものすごく強く影響しているんじゃないかと思います。家族は、近すぎるがゆえに、心が解放されてしまうのです。

 

本当は一番大切にすべきは家族であるはず、と頭では考えていても、行動はそうではないものになってしまう。距離が近いとなんだかもどかしい関係になってしまう。そういうことって結構ある気がします。まあそんなことないって人もいるかもしれないけど。

 

じゃあなぜ「心の距離が近い」とそういうことが起こるのか?
それは、無意識に「深いところでは絶対につながっている」という確信を持っているからではないかと思うワケです。
普通なら嫌われたくないから、相手に対して「心を解放する」という選択肢はあまり選ばないんじゃないかと。だけどその相手と深いところではつながっている、となれば普段自分が「嫌われるだろうな〜」と思うような言動・行動も出てしまうのかもしれません。

 

だから家族に対して強く当たってしまう度合いというのは、外で「ありのままの自分」という存在を押し殺している量に比例するんではないでしょうか?家族ってなんだか裏腹で、もどかしい関係ですよね。

 

私の母方のおばーちゃんは88歳で、体力的にも精神的にも元気がなくなってきています。息子(私のおじさん)が近くに住んでいるのでよく様子を見に行ってくれるようなのですが、何かあれば息子に当たり散らすそうです。些細なことでケンカになって、もう行きたくなくなるくらいの感じのようです。
でも、私がこの前おばーちゃん家に寄ったときは、ものすごく明るく笑顔で対応してくれました。聞いていた話とまったく違うのです。

 

これこそまさに「心の距離」の問題だろうなと思いました。
孫と息子では距離が全く違うのです。つまり「深いところでつながっていない」とも言えるかもしれません。

 

 

今回、その差を感じて、私にはおばーちゃんを表面的に元気づけることはできるかもしれないけど、深いところで向き合うことはできないんだろうなと思いました。どうしようもないけど少し悲しい気持ちになったし、本当の意味で向き合える人がうらやましくも、大変だよなーとも思いました。向き合うというのは、ごく一部の人しかできなくて、とてもエネルギーのいる大変なこと。

 

家族の言葉って、心に響きすぎるからこそ逆に素直に受け取れないことがあるんだと思います。でもその距離の近さで、その深いつながりで、相手の気持ちに寄り添って、その言葉に素直に耳を傾けられるようになったら、なんだかとても幸せな気がしました。

 

家族は、距離が近くて深いつながりがあるからこそお互いを傷つけ合ったりぶつかり合ったりします。痛みや悲しみを感じることが何度も何度もあると思うけど、そういうことができる関係だからこそ、痛みや悲しみを覚悟して踏み込んでいけるからこそ家族である、とも言えます。

 

痛みや悲しみを避けようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなる。

 

この本にはそうありました。まさにその通りだと思います。
 

 

普段、他人との接点で精神力を消耗してしまうことばっかりで、それが第一優先のように生きてしまっている気がします。だけど一番優先すべきは、まずは本当の意味で向き合うことができる、「家族」と向き合うことに力を注ぐことかと。

 

他人はどうでもいいとは言いませんが、優先順位を間違っては、大切なことを見失う気がしました。
気をつけようと思います。

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。