親ごころが子どもの生まれ持った才能を潰してしまう可能性について。

 
子どもにとって親とは、本当に厄介な生き物だと思います。今自分が子育てをする立場で子どもにどう成長して欲しいのかを考えてみると、そもそもそうやって考えて導こうとすること自体が子どもの成長を妨げているのではないか、と思うからです。
 
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photo credit: ArloMagicMan via photopin cc

 

親は、よかれと思って子どもに指示したり教えたりします。それは、自分が生きてきた経験からしか発せられない言葉です。つまり、親本人が「自分がこうでないとダメだと思うから」「自分が我慢・納得できないからイヤだ」ということが多い。知らず知らずの内に、価値観の押し付けになってしまうのです。
 
それによって子どもが喜びを感じながら生き生きと活動している場合は良いと思います。ですが、もしイヤイヤ活動していたら、それは親がルールや価値観を押し付けているだけ。子どもは納得して行動していないし、そこには創造性というものは全く存在していません。

 

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例えば、「一度始めたことはしばらく続けなきゃ」とか、「遅刻はしてはいけない」とか、「人に親切にしよう」なんていうのは、実は自分自身の表面的な願望であって、最近そういうことが大切であることに気づいただけかもしれません。それを自分と同じように失敗して欲しくない、自分が大切だと気づいたことをわかって欲しいということで、まさに「親ごころ」で子どもに教えようとする。
 
だから「親ごころ」は決して悪いものではないと思います。かわいい我が子を思いやってこそのものです。ですが、刷り込みや押し付けでは本当の意味は伝わりませんし、「言われること」が行動のトリガーとなってしまうため、自ら行動するという「自発性」を育てるという観点ではマイナスに作用してしまいそうです。
 
誰かに言われなきゃ何もやれない、自分からは何もやらない。私は自分の子どもにそんな風に「成長」して欲しくないです。

 

 

ではどうやって伝えればいいのか?
 
これはサドベリー・バレー校について書かれた本を読んでいて共感したことなんですが、おそらく親や大人は何にも言わず、口に出さずに、その姿勢だけ見せれば良いのではないかと思うのです。言葉にして伝えるだけでは、本当の意味は絶対に伝わらないですし、それとなく導こうとしても子どもは思ったより賢いですから誘導しようとしているのは気づかれてしまいます。
 
親が与えられるのは、「どんなことがあってもお前のことが大好きだぞ!」という愛情と、「絶対できるから大丈夫。自分を信じろ!応援してるぞ!」という自己肯定感や自信と、色々な経験・体験ができるような仕掛け、くらいのものではないでしょうか?
 
親にとっては、「一切口を出さずにただ見守る」というのはとても辛いことです。失敗するのをわかっていながら見守る、目先の結果に囚われずに子どもの先の成長を見据えて我慢する、というのはもう苦行に近い気がします。

 

「何も言わなければ子どもは成長しない」と思いがちです。実際私もそう思っていました。教えてやらなきゃ何にもできない・何にもやらない人間になってしまう、、、という心配がつきまといます。
 
でも、それは逆なのかもしれません。
子ども(というか人間は)は生まれたときから、自ら学ぶ力を持っていて、成長したいという願望を持っているようです。そしてそれは創造性にもつながっている。
 
もちろん、求められればアドバイスをする、成長を支える、ということは絶対的に必要ですが、本人が求めない以上はきっと必要ないのだと最近思うのです。

 

自分にはまだまだできていませんし、どこまでできるかわかりませんが、今後は子どもの先の先の成長、本当の意味での「自ら学んでいく力」を身につけられるように、「何もしない教育」について考えながら実践していこうと思います。

 

この本、「何もしない教育」の尊さを語っています。素晴らしい学校。
 

 

あなたの「人生の文字盤」が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。