残念な人生から脱出する方法。

 

ぼくのこれまでは、言ってみれば「残念」なものだった。

小学校2年生のとき転校先でなじめず友達もあまりできなかった。

小学校5年生のとき入ったグループでいじめにあい、「おはじきで水あめ買ってこい」と言われて断れなかったのを覚えている。

中学高校は男子校で、むっつりスケベなぼくは女の子と友達になりたいのに「そういうのにはあんまり興味ない」ってフリをして、まったく女っけのない6年間を過ごした。

大学では何かに本気で打ち込むことができず、友達や先輩と遊んだり、バイトしたり、授業をサボってスノーボードに行ったり、そのときそのとき興味があるものに飛びついては本気になれずに4年という時間を浪費した。

大学4年のときに付き合った彼女と、就職と同時に22歳で結婚し、東京で暮らしはじめた。

「就職したら自分で稼いだお金でたくさん遊ぼう!」という夢は知らぬ間に消えていた。

就職も、特に何がしたいわけでも何かが得意だというわけでもなく。

大学が推薦を出してくれる受かりそうな会社を選び、直前に覚えたその会社の事業内容と嘘っぱちの志望動機を武器に面接を受け、運よく採用されたから就職しただけ。

入社して3年で、やりがいも意味も意義も見つけることができず、会社を辞めた。

そして、何も考えずに無職で25歳で家を買い、35年ローンを組んだ。

何も考えずに家を買ったはいいが、ローンを払うためにはお金を稼がなくてはならない。

「自分は多少はイケているんだ!」と表現したい欲求を持っているぼくは、会社のネームバリューを気にしながら就活をし、結果的に自宅から車を運転して1時間もかかる会社に入社してしまった。

そこでは、旧態依然の組織体制や働き方に疲弊しながらグチをこぼしながら、その旧態依然の組織体制に染まっていった。

この会社では約11年働いたのだが、最後のほうは給与を受け取る以外には働く理由が見当たらず、自分は何のために働いているのか、これは本当に仕事なのか、深く悩み過ぎて心が病んでいった。

同時期に当時のパートナーとの関係性悪化も絶頂期となり、何もかもうまくいかない自分が嫌になった。

13年ほど残っている家のローンの支払いと共に、37歳で家を出た。

ぼくが家を出たのは一番下の娘が6歳の誕生日を迎えるちょっと前だった。

大学の友達にお願いし、彼が運営していたコワーキングスペースにあったコンテナの中に少しの期間荷物を置かせてくれとお願いをした。

前の日のうちに自分の荷物を段ボールに詰め、深夜に、家の車を使って、ひとりですべての荷物をそのコンテナに運びこんだ。

彼にはさらに無理を言って、ちゃんとした住処が決まるまで彼の家の住所を上田市役所に引っ越し先として提出させてもらった。

そこから1,2週間、ぼくは着替え、歯ブラシ、パソコンなどの生活必需品のみをリュックに詰め込み、当時お世話になっていた人の家や、知り合いのお店、インターチェンジ近くのサウナ、ゲストハウスを転々としながら暮らした。

みじめな気持ちになったり、人って温かいなといままでになく強く感じたし、夜が怖かったし、サバイバルしているみたいで楽しかった。

 

経験から語る「残念な人生から脱出する方法」

ぼくは何者にもなれず、ただただ目の前を通り過ぎていく時間に引きずられて生きてきて。

35歳で仕事と家庭という生活のコアな部分が崩壊する出来事によって、ようやく自分の今後の人生について真剣に考えることができた。

36歳で11年働いた会社を辞め。

そして37歳にもなって、大切なものを置き去りにして家を出るという、残念な結果を導き出したのだった。

ただ、いま振り返ってみると、残念な結果が出た最後の最後に革命的な体験をした。

それは、「カラダが欲する美味しいものをとことん食べた」というだけなのだが、この体験が革命的だったのだ。

この体験によって、「ぼくはこれまで、自分のカラダを自分として扱ってこなかった」ということに気づいた。

カラダを、心や精神や脳の奴隷のように扱っていた。

まるでガソリンを入れるかのように、部活が終わって疲れた後は、すぐに燃料になる炭水化物(カップラーメンなど)や糖分たっぷりの栄養ドリンクを大量に補給していた。

甘いものが食べたいと思えばお菓子を買って、脳が満足するまで胃の中に放り込んでいた。

「自分の思う通りに動け!」と偉そうに指示を出し、風邪引いたりケガをすれば「早く治れよ!」と自分勝手なゲキを飛ばした。

自分のカラダなのに、自分ではないかのようにぞんざいに扱っていた。

なぜだかわからないけれど、残念な結果が出た最後の最後に、ぼくは夢中で食べ物とカラダの勉強をした。

カラダが美味しいと言ってくれそうな食べ物を出してくれる飲食店を探し回り、食べ回った。

おしゃべりな脳ではなく、寡黙なカラダの声に耳を澄ませられるようになった。

そのとき以来、ぼくは「自分の定義」が拡張し、2人分の力を持つようになった感じがある。

 

死ぬまでにどこまで拡張できるか?

ぼくはいま、長野県上田市にあるバリューブックスというインターネットで古本を買取販売する会社で人事的な仕事をしている。

いい仲間とやりがいのある仕事で、毎日充実している。

個人では子どもの教育に関する仕事をしつつ、以前勤めていた会社の資料作成の仕事をしたり、ブログを書いたりしていて、これからフードトラック(移動販売車)をつくって一緒に暮らしているパートナーと一緒にカレー屋をやろうと計画中だ。

残念な人生は、脳のなかに閉じこもっていた自分から飛び出し、自分の定義を拡張しはじめたときにまったく異なる世界に変わった。

そして、ぼくがこれからも拡張していくカギは、自分自身の経験の中にあるとわかった。

ぼくはまだまだ拡張していく。

そうすれば、ぼくたちの住む世界は、より楽しく心地よく優しく、より有意義な場所に変わっていく。

「死ぬこと以外かすり傷」で、いこう。

 

それではー!

 

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1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。