【良習慣】プチ断食にチャレンジして「食べる」という当たり前の日常をかみしめてみる。

 
今日、思い立って断食チャレンジをしてみました。
 
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photo credit: Remi_Fr via photopin cc

 

きっかけは、ウチの子どもがまったく食べ物にありがたみを感じていないことにイライラしてしまったから。「食べさせられている」ぐらいの感じなので、腹が減れば食べられることのありがたみがわかるのではないかと思ったのです。それを押し付けるだけも良くないと思ったのと、自分自身も食べ物に対するリスペクトが不足していると感じていたので、自分も1日何も食べないで過ごしてみました。

 

その名の通り「チャレンジ」ですので、何が良くなるとか、どんな効果があるのかはまったくわからなかったけど、とりあえずチャレンジ。
 
全然持たないかと思ったけど、案外なんとかなるものです。お腹がすいて、多少頭がボーッとしますが、どうしようもないってほどでもなかった。
悔しいことに(?)子どもも全然根をあげませんでしたが….

 

まあそれでも、子どもたちと「食べないとお腹が減る」という感覚を共有できたのは良かったと思います。結局私が根をあげて、夕食は食べることにしたのですが笑、子どもたちもやっぱり腹が減っていたらしく、いつもよりもがっついてご飯を食べていました。「おいしい!」と言って食べていたのがとても印象的でした。
 
きっと子どもたちは明日には忘れちゃって、またご飯を食べることにありがたみなんて感じない、何気ない日常が始まるのでしょうが、人間の脳みそは奥深いので感じたことは潜在意識に残っているはずです。今日の感覚が、いつか何かの拍子によみがえって「そういえばあのときそんなこともしたなあ」「あの時のご飯はおいしかったなあ」などど思い出してくれればメッケもんです。

 

 

やってて気づいたのは、普段自分がどれだけムダに食べ物を消費しているのか、ということ。どうしても何かを食べたくなってしまうのは単なる衝動であり、生きるためではないということ。普段休み中に家にいるとなんとなく何かつまんでは口に入れてしまう自分がアホらしくなりました。
 
そんな風に反省したところで、やっぱり欲望に駆られ、衝動的に必要以上に食べてしまうのが私という人間なんですよね。きっとまた余計に食べてしまうと思います。

 

ただ、「何気ない当たり前の日常」をかみしめることはできました。
ありきたりな言い回しですが、現代はモノが溢れ、不自由はあまりなく生きていくことができる。そういう基礎があるからこそ、人間はさらにその先の世界を切り開いていけるのかもしれませんが、「何気ない当たり前の日常」を忘れてしまうことで大切なもの失う気がするのです。

 

食べることが当たり前にできて、何のために食べているのかすらわからなくなってしまったら、「何気ない当たり前の日常」をかみしめることは絶対にできません。当然、食べることだけではありません。人生は日々の積み重ねですから、当たり前の日常の中に価値を見いだし、毎日を積み重ねることができればもう最強ですよね。

 

仕事ができること、友達がいること、奥さんがいて、子どもが生まれたこと。
もっと言えば、生きていることそれ自体に奇跡を感じて、毎日をかみしめること。
何気ない当たり前の日々を当たり前に生きてきて、当たり前のものに対して尊さを感じる感覚が鈍ってしまっていることにこそ、現代の生きにくさがチラつく気がしてなりません。

 

これからも、忘れがちな自分のためにも、何気ない当たり前の日常をかみしめられる取り組みをしていこうと思います。

 

断食道場なんてーのもありますねー。面白そう。
 
温泉のある断食道場 | 伊豆 やすらぎの里

 

あなたの「人生の文字盤」が見つかることを願っています。
それでは!

 

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ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。