【子育て】「正しいやり方を押しつける病」にかかっているあなたに伝えたい、認知の違いを受け止めれば子どもと一緒に自由になれるよという話。

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人には必ず「生まれもった認知の違い」というものがあって、それがその人らしさ、個性につながっているということをこの本で勉強しました。違った感じ方をするからこそ、人とは違った表現ができるのです。
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<参考記事>【子育て】「あの子は発達障害だから」と簡単に切り捨てる無知なあなたに伝えたい「天才と発達障害」という本
 

 

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これまでの「正しいやり方」を捨てられない日本人

 
だけど、振り返ってみるとぼくの子どもへの接し方ってとても偏っているんです。
 
ほとんどの大人はその子の認知の偏りなどまったく気にせずに、自分がこれまで覚えてきた「正しいやり方」を押しつけようとしているように見えてきます。これは子どもを檻の中に閉じ込め、当たり前を押しつけて、同じような人間になることを強制して、自由になる権利を奪う傲慢な行為です。
世界がより良く豊かになっていくことを邪魔する行為。
 
自分がそうやって迷い込んだ道に、当たり前のように同じ道を歩ませようとするのはもう病気です。
自分のことをまったく知らない病、当たり前を押しつける病、我慢こそが美徳病。(ネーミングのセンスなし!笑)

 

それは、ずいぶん昔から主張されてきたことみたいなんですが、なぜいまだに子どもへの教育は画一的になってしまうのか?
この本を読みながら「正しいやり方を捨てられない病」の治し方について考えてみたいと思います。

 

 

世の中の前提にあるもの

 
引用していきます。

 

視覚優位や聴覚優位といった認知に重きを置いた考え方については、これまで、一部を除き、あまり知られていませんでした。
というのは、すべての人が言語で思考をしているという考え方が、世の中の前提にあるからです。

 

学校では、先生の話を聞き、それを言語化して書くことができないと、極端な話「ダメな子」というレッテルを貼られます。
そして親も、自分自身がそういう教育が「正しいもの」と刷り込まれて育ってきたので、否定する余地なく正しいことを子どもに押しつけるのです。

 

 

天与の賜物よりも自分のやり方を優先する大人

 
実験心理学者のゴールトンという人がこんなことを言っていたそうです。

 

現在の教育は書物に依存し、言語を通じて行われるの幣として、この大切な天与の賜物を抑圧する傾向がある。
凡ゆる技術、すべての芸術的職業に大切であり、我々の知覚を精確にし、概括を妥当ならしめるこの能力が、正当な育成により効果を発揮させられる事もなく、空しく遺棄して朽ち果てるにまかされている有様である。この能力を培い、これを利用する最良の方法を真剣に研究し、以って象徴的符号による抽象的思考に終始する偏見を是正する事こそ、今後成立すべき科学的教育学の緊要課題のひとつであると確信する。

 

教育とは子育てとは、本来なんのためにあるのかと考えると、決して「自分が考える正しいやり方を押しつける」ためにあるわけではないよなというのがすぐに分かるはずです。
 
もし人間が進化していくことを最優先するのであれば、自分の持っているあらゆる知識や経験を伝え、環境の変化に対応する方法を学んでもらうことが重要ですが、どうもぼくたち大人は今までの正しいやり方、自分が経験したたった1つの答えに辿り着いたプロセスだけを押しつけようとしてしまうようです。
 
時代はどんどん変わるし、答えなんて人それぞれ違うのに、持っている「常識」ですべてが乗り越えられるかのようです。
これは子育てに関わらず、ぬるま湯に浸かって本質を追わずに、ただただ目の前のことに食らいついて「昔は良かった」とノスタルジーから抜け出せないサラリーマンマネージャーにも言えることです。
 
いやーそれを押しつけるなんてことしたら、やっぱり病気ですよ、病気。

 

 

正しいやり方を押しつける病を治したら発生する素晴らしいイベント

 

認知の偏りのある人は、自分とは違う認知のあり方を示す能力に敏感になります。視覚優位な人は聴覚優位の認知パターンから発想されたことに対し違和感を持つことがあります。

 

そのような人は小さいときから、なんとなく「あっ、周囲は自分の感じ方とは違う」「なぜ、そのように思うのだろうか?」「なぜ、そんなことが分からないのか?」などというような感じ方をすることでしょう。

 

人は感じ方が他の人と同じ場合には、自然な形で表現をしますが、感じ方が違う場合には、積極的な表現をさけてしまいます。

 

人と違うのが怖い、、、そうやって自分の中にある何かを外に向かって自然に表現することをやめていきます。
大人は自分がそういう風に閉じ込められてきたことに気づいていないが故に、無限の可能性を持つ子ども、つまり過去の自分を小さな檻の中に閉じ込めてしまうんです。
 
これ、恐ろしいことですね。
自分で自分のことを閉じ込めていることに気づかずに、勝手に苦しんで不満を漏らして生きているのです。

 

どうしたらいいか?
簡単です。子どもの頃の自分を檻から出してあげればいいのです。
 
自分が子どもの頃に、人と違うからと言って表現することを怖がっていたことを思いだして、いまの子どもたちに対して全力で肯定してあげればいいのです。
 
みんなと同じことをするのが正しいのではなく、正しいことはよくわからないけど、自分が本当はどうなりたいのか?なにをすると楽しいのか?どんな状態が心地良いのか?をわがままに追求してみようという姿勢が大事なんだとわかってきます。

 

自分とは違う認知のあり方を知ることは、自分が子どもの頃から苦しんでいるものの正体を知り、自分を知るための素晴らしいキッカケを与えてくれます。この本「天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)」は間違いなくそのキッカケになってくれる一冊。

 

正しいやり方を押しつける病が治ると、自分も子どもも檻から解放され、その人にしかできない自由で自然な表現が解放され、世界がより良く豊かに変化していくというイベントが発生するのです。

 

 

まとめ

 

その人の資質を生かした仕事をしたときには、本能的に自分が生まれてきた意味を感じとることになると思うのです。

 

読んでいて気づいたのは、自分が思っている「正しいやり方」を子どもや誰かに押しつけるということは、結果として持っている特性を捨て、選択肢を狭め、自然で自由な表現を殺し、自分自身が本当は得たいと切望している「喜び」を失わせているんだなということ。
 
無意識にしていることでもなんでも、自分に返ってくるんですな。恐ろしや。
 
ぼくは「人には認知の違いがある」と知っただけで、まだ自分の特徴を捉えるまでには至っていませんが、明らかに世界の見え方は変わりました。
個々が持っている違いを、自然で自由な表現を仕事に活かして生きていけたなら、素晴らしいな。

 

自分の持っている偏見を認識しぶっ壊し、大人も子どもも力いっぱい生きるキッカケになる一冊。おすすめです。

 

それではー!

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ