DAIGOが日テレ24時間チャリティーマラソンのランナーになるって?だからなんなの?

 
あのDAIGOが走るそうですよ。
 
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photo credit: 2013-09-22 09-38-16 – DSC_6363 via photopin (license)
 
DAIGO 24時間ランナーに決定(2015年5月26日(火)掲載) – Yahoo!ニュース

 

若かりし頃の自分なら「へー大変だねーでも自分で決めたんだから勝手にがんばればー?」とか言ってそうですが、そうも言ってられない自分がいる。あー年取った笑。

 

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お笑い芸人が番組でシンクロナイズドスイミングに挑戦することも、浅田真央がフィギュアスケートに復帰することも、キングカズが48歳(2015年時点)でまだプロサッカーリーグで点を決めることも、イチローがメジャーリーグでの通算安打数を2015/5/22時点で2875本としてベーブ・ルース越えを果たしたことも、DAIGOがチャリティーマラソン走ることも、すべて同じことだ。

 

これらは、見る人からみれば「意味のないもの」「価値がないこと」のように捉えられるかもしれないけど、でも絶対にそんなことはない。

 

 

純粋な挑戦はアートである

 
上に挙げたものすべて、芸術、「アート」であると言ってもいい。
 
評価してもらいたい・褒めてもらいたいという、誰かの価値観に寄りかかった創造物ではなく、昨日より今日、今日より明日と、毎日毎日違う自分になるための自分自身への純粋な「挑戦」なのである。
 
それは、他者に感動をもたらしてしまう。

 

 

本当に生きるためにアートがある

 
芸術は生きるうえでは絶対に必要なものだとは言えないかもしれない。
ただ息をして心臓が動き脳に血が通っていることが生きるということであるならば。
 
人間が「本当に生きる」ということの定義は、感情のままに情熱的に、未来に希望を持って自分らしく生きることを言うのだと思う。
人間は、希望や感動がないと生きれない生き物なのだ。
 
「挑戦」をして、壁を越えようとする姿、それによって人が成長していく姿は感動的である。
その感動が、へこたれてる誰かの背中を押し、どうしようもない現状にも希望に溢れる未来を感じさせる。

 

 

アーティストとは誰かに生きる力を与えてしまう人

 
浅田真央は若者の、キングカズやイチローは中高年の、DAIGOはテレビを見ている多くの人の心に火を灯す。そうやって、自分自身への純粋な「挑戦」は誰かの生きる力に変わっていくのだ。

 

 

まとめ

 
スポーツをすること、走ること、アートは自分自身への「挑戦」である。
挑戦とは、昨日の自分とは違う自分に生まれ変わっていくこと。
 
挑戦は成長、挑戦は壁を乗り越えようとする勇気。
それは感動を呼び起こし、希望を垣間見せる。
 
DAIGOが挑戦を決めた、それだけでもものすごい価値がある。
 
応援しよ。
それでは!
 

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1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。