みなさんは、仕事に限らずですがイライラしたり疲れたりしているときに、家の外では絶対見せない顔を家族に見せたりしませんか?
わたしはしょっちゅうあります…
ふと自分を振り返ると、二重人格かと思うくらいですわ。
他人には厳しいこと言わないのに、家族には厳しく言ってみせたりします。
屁理屈で正当化して、華麗に八つ当たりをするのです。
家族の存在
結論から言うと、家族には甘えているんです。甘えられるんです。
家族は自分に一番近い他人です。だから1つである、1つになっていると勘違いしやすい。よく考えると、家族とは本当に素晴らしい存在でもあり、大事なことを理解していないと大変なことになる存在でもありますね。
家族に八つ当たりする人は生きにくい
外で他人の価値観の中で他人に合わせて生きている人、他人に嫌われることを恐れて他人の顔色を伺って生きている人、「出る杭は打たれる」を言い訳にして飛び出すことを恐れて本当の自分を必死に抑えている人は、本当はもっともっと自分を表現したくて飛び出したくて仕方がないんです。
だから甘えられる家族の前では、恥ずかしいくだらない屁理屈を振りかざして、せめてその瞬間だけはと、自分の奥底から涌きあがる自分を表現したいという欲望が止められなくなるのです。
それが本当の自分
家族に優しくできる人は本当に優しい人です。
外の他人にも家族にも同じように接している人は、無理なく自然体で生きている人です。
八つ当たりする人、外の他人には見せない態度を取る人は、普段無理をしていて家族にだけは甘えているわたしみたいな人です。
ある意味、家族に接する自分が本当の自分なんです。
圧倒的な優しさを手に入れたい
自分という人間が本当はどんなヤツなのかわからない人は、自分の一番身近な存在に接する自分をよく観察してみてください。きっと無意識に現れていた本当の自分自身に気づくはずです。
わたしは溢れ出る優しさを持った人間になりたいと思っています。圧倒的に優しい自分になれたら、自己満足感がハンパなくなる気がしています。
圧倒的な優しさを手に入れた人間になりたいわー
— おおのあきよし (@HagemaruA) 2015, 4月 30
「圧倒的な優しさ」「溢れ出る優しさ」というのは、他人の価値観の中で他人の顔色を伺いながら出てくる優しさとはまったく異なるものです。偽りの優しさではなく、本物の優しさです。
わたしのような家族に八つ当たりするような人は、家族に優しくできたとき「本物の優しさ」に出会えるのだと思います。
まとめ
誰かに優しくすることで喜べる・楽しめる・嬉しいと感じる自分がいてはじめて、圧倒的な優しさが成立するのです。以下、今話題の坂爪さんのツイート。
愛されるよりも愛するほうが、確実によろこびは大きい。これは綺麗事なんかではなく、普遍的な真実だと思う。
— 坂爪圭吾 5/5-10@高雄-台北 (@KeigoSakatsume) 2015, 5月 6
愛されたいとばっかり願っていて、愛することを忘れがち。家族への八つ当たりは、「わかって欲しい!」「もっと欲しい!」という気持ちの表れです。
優しさをあげられる存在になるためには、まずは自分が満たされることが必要。溢れてこぼれた分を優しさに変えて、大切な誰かにあげられればいい。
<参考記事>
自己犠牲と忍耐を押し付けてくる大人は無視だ!溢れた分を優しさに変えて人にあげるという考え方。
自分が満たされ、大切な人を大切にするためにやるべきこと。
それは、「外の世界で自分を開き、他人の目に左右されず、無理せず生きること」です。
それでは、またー!