こんにちは!
信州上田の大野です!
組織や会社の中で仕事をした経験のある人ならわかると思いますが、実に多くの「立場」が存在しますよね。
会社で言えば係長や課長や部長っていうのは、なった瞬間に「立場」という目に見えない力が働きはじめるもの。
「立場が人を育てる」なんて言葉をよく聞きます。
でもそれってその立場になったからって人が勝手に育つものでもなくて、「場合によっては」という前提条件がある、というのが大野的の意見。
今回はこれについて考えてみたいと思います。
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「立場は人を育てる」ケース
「立場は人を育てる」ケースは2つあります。
一つは、その立場において自分が求める姿を思い描いたとき、その人が今その能力を備えていなかったとしても、自分自信への期待に応えようと必死になる場合。
もう一つは、立場よりも大切に思っている「目的」「目標」があって、それを実現するために立場をうまく使いながら、目的に近づいていこうとしている場合です。
成長につながる種が「立場」にある場合、自然と「立場が人を育てる」構図になります。
「立場は人を育てない」ケース
逆に、「立場は人を育てない」ケースもあります。
それは、その立場によって得ることができる「お金」や「名誉」が目的だった場合。
その「立場」が目標ですから、それ以上の成長をしようとはしません。
特に「名誉」が欲しかった人は「名誉」の力にこだわっている人であり、「オレは〇〇なんだ」と言葉では言わなくても態度に表れてしまいます。
自分を支えてくれる周りの人の期待を気にしないし、その「立場」を得た理由が薄いので、成長しないスパイラルにはまり込みます。
また、組織の中にある壁は「立場」によってしか解決できないと思い込み、チャレンジを諦めてしまっている場合もそうです。その人が思い込んでいる「立場」の枠を出られません。
つまり「立場」に囚われて、それ以上の成長をしないということです。
まとめ
立場を成長の材料に使うのではなく、それを守ることに必死になる人が増えてくると、その集団や組織全体が成長できないという事態が発生しかねません。
どんな人が立場を得るのか、どんな人に立場を与えるのか、というのは集団や組織を成長させていくためにはとても重要なことのように思えてきました。
人は誰でも「成長したい」「学びたい」という基本的な欲求を持って生まれてきています。
子どもの頃のことを思い返してみれば、無意識にもがむしゃらに色んなことを吸収して、学びながら成長していたはず。
様々な経験や要因が作用し、大人になる過程で成長や学びに対して臆病になっていくのかもしれませんね。
そういった、人の基本的で偉大な欲求を活かすも殺すも、関わる人や環境次第というところもあるなぁとつくづく思います。
成長することが人間の持っている本能であり、成熟していくことが年老いることだと思えれば、おのずと自分はどうあるべきで周囲に対してどう関わっていくべきかが決まるのではないかと思いました。
人生の主語は「自分」です。
その自分をどう活かして生きていくか?
人生、これからまだまだ楽しめそうです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
それではー!