「サドベリーバレー」と「asobi基地」が実践している、人間に最も必要で大切なこと。

 
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photo credit: Marwa Morgan via photopin cc

 

ウチの長男は小学3年生なのですが、なんだか理由もよくわからないまま学校から「ルール」を持って帰ってきます。アレをやってはいけない、コレはだめ、アソコにはいってはいけない、などと教えられるようです。なんでいけないと思うか聞いてみると「先生が言ってたから」です。
 
また、漢字の勉強一つとっても、「それはまだ習っていない」「4年生で習う漢字だ」とかいう話になる。4年生の漢字を知ってる、4年生で習う算数を解ける、というと「スゴイ」ということになるのです。
 
「人と同じ」ということにも執着します。みんなと一緒じゃないとダメなときがあるんです。これは私たち大人も大半がそう思うかもしれませんが、人と同じでないと不安になり、人と同じということで安心します。
 
学校では、そうした「偏見」を刷り込まれる機会がたくさんある気がします。もちろん、今現在「大人」と言われている私たちも、そういう環境で当たり前のように過ごしてきた経験が、子ども達に「偏見」を刷り込むことがたくさんあります。
 
学校を題材にして、これまで読んだり聞いたりした情報を頼りにちょっと思考の旅に出てみます。

 

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「学校」と「工業化」の深いつながり

学校は、誰にでも一定の教養を与えてくれる素晴らしい場所であると同時に、世界を物質的に豊かにしていくことを目的とする「工業化」が生み出したシステムという側面をもっています。みんなが同じような箱に入って、同じ情報を得て、同じ価値観を刷り込まれ、ルール・規律を重んじ、ベルで時間管理をされ、大人のつまらない価値観で評価を受けて「良い」「悪い」のレッテルを貼られる。
 
人と同じようになるように、そして大人の価値観による良い評価を受けて褒められるように、一生懸命がんばるようになる。そうやって大人の都合で、画一的で同質的な「優等生」が生み出され、「工業化」による大量消費・大量生産時代を支える人材となっていく。
なんだか会社みたいですね笑。
 
でも、「工業化」を「正しいこと」として邁進してきたことで、人は安全とモノに溢れた豊かな生活を手に入れました。コレは今を生きる私たちにとって本当にありがたいことです。私たちは工業化の恩恵をありがたく享受しているということは忘れてはいけないとも思います。

 

 

ひからびた価値観によって失われていくもの

時は流れ、人の価値観は変わってきた今、これまで正しいこととして認知されてきた様々なものが問い直され始めています。「正しいこと」は本当に正しいことなのか?という根本的なところから。大量消費・大量生産時代の真っただ中に生き、成長し、そして支えてきた日本は、日本人は、ひからびた価値観を引きずりながら、心のどこかで疑問に思いながら、なんとか今を生きています。
 
今見つめなければならないことがあります。工業化は手段であり、目的ではなかったはずです。
 
学校や、学校で偏見を刷り込まれた大人達によって子ども達が失っていくもの。古い価値観を引きずっている人達によって失われていくもの。それは、創造力と、自分の内側から湧き出る「やる気」に自分自身が耳を傾ける能力だと、私は思います。
 
したくもないのにさせられることでだんだんと指示に従うことに慣れていくこと、みんなと同じことが物事を選択する上での価値観の主軸になること、「大人」や「上」の評価を受けるためにがんばること。
 
そうして知らず知らずに、誰かと同じになるために、大人に評価されるために、学ぶようになる。自分の内側から湧き出るやる気がなくなり、自ら学ぶ力を失っていきます。
 
自分の内側から湧き出るやる気を失い、自ら学ぶ力を失うとどうなるのか?創造力を失い、自分らしく生きる力を失うことにつながっていく。創造力を失うこと、それは突きつめれば何かを表現しながら創造することで生きていく人間にとって、生きる意味を問われるような、常にナイフを突きつけられてしまうような危機的状況のような気分にさえなってしまう。
 
今、多くの人が世界に感じる違和感、なんとなく生きにくい感じは、ひからびた偽りの価値観の押しつけと、自分自身の中から湧き起こっている疑問とか生きにくさが衝突していることが原因ではないか?と思うのです。

 

 

失なわれつつあるものを取り戻す方法

それに気づいた自分には、大人として父親として、今の子どもたちのために何ができるのか?何をすべきなのか?
それは、もう何十年も前にアメリカのボストンで設立されたフリースクール「サドベリー・バレー校」が教えてくれます。
 

 

子どもは誰も、物心ついたときから、自分自身の教育に個人として責任を持つべきである。したがって、子ども自身の選択、活動に対し、外部からの評価はあってはならない。卓越さと創造性、学習の良き習慣、自分が選んだ分野への情熱的な献身を育む最善の道は、子ども一人ひとりに自分の技能・関心を伸ばす完全な自由を与えることだ。

 

アメリカのボストンにあるフリースクール、サドベリー・バレー校はこのような考えに基礎を置き、運営されています。そしてその根底には、大人も子どももみんなが対等である、という思想が絶え間なく流れている。何かを指導するわけでもなく、大人が言うことが絶対正しいとも思わず、大人が良いと思う方向に導くでもない。幼い子ども達を、あくまで一個の大人として見て、口を出さず、「何もしないで見守る」という教育の尊さ・強さを知った上で行動している学校だと思います。
 
これまで自分たちが失ってきた大切なものを、子どもたちが失わないように。
今、私たちは学校ではないどこかに、サドベリー・バレー校のような場所を作らなければならない状況にあると思います。
 
そしてこれはasobi基地という活動にも通じるところがあります。

 

こどもたちがいろんな世界を探求し、知り、自分で楽しむ力を身につけ、自発的にやりたいことを見つける。
大人はこどもの眼差しを見て、こどもの心に寄り添い、あっ!と新しい世界に気づくその瞬間を共有し、それを見守りサポートできる力を身につける。
そんな両方が学び、楽しむ権利を満たせる場所であることが、大人も子どもも平等であるということだとasobi基地は考え、そのような場を提供していきます。

 

アフタースクールでも家庭でもいい。
子どもも大人も対等に、人を人としてリスペクトし、自由の意味を知って、創造をためらう必要のない場所。
私も、そういう場所を作っていきたいな、と思いました。

 

参考にした記事とホームページ
 
asobi基地 オトナもコドモも平等な場所

 
Sudbury Valley School • The View from inside

 
サドベリー・バレー校-教育改革情報-

 
あなたの「人生の文字盤」が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。