宮崎駿監督の最後の長編映画「風立ちぬ」観ました。
わたしには映画を作った人が表現したいことを、そのバックグラウンドから洞察する能力はありませんので、まあ思ったことを率直に書きます。
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「大切な時間」という感覚は人それぞれ違う
ストーリーについては観るのが一番だと思うので詳しく書きませんが、簡単に言うと美しい飛行機を作ることに没頭する「偏った」天才と、結核をわずらった死期迫る美しい女性が、本当に瞬間的に人生を重ねた時間を描いた映画です。
その二人は、わたしが今持っている感覚では考えられない生き方をします。
男は奥さんになったその女性と大切な時間を重ねていると言いながらも、人を傷つけるための美しい飛行機を作ることに没頭する。
女は大好きな彼のために死ぬ覚悟で美しい状態の自分を作り、病気を治すことを諦め死ぬことすら覚悟して彼の元に寝たきりで居続ける。
二人で時間を過ごすのは朝と夜のほんのわずかな時間だけ。
でもそれでも、二人は「大切な時間を重ねている」と言うのです。
真っ直ぐで純粋だからこそ美しい
その当時はそういった感覚が当たり前だったのか?それとも二人は特別な人だったのか?はわかりませんが、わたしの持っている常識的視点から覗くと「歪んでいる」ように見えました。
でもそれが故に、真っ直ぐで純粋で、シンプルで美しいもののように見えてくる瞬間があり、とても不思議な感覚を覚えました。
「大切なこと」がその人の人生を薄くする
人は大人になるにつれて「大切なもの」が増えていきます。「大切だと思い込んでいるもの」だと言った方が正しいかもしれません。恋人、家族、お金、権力、地位、家、プライド、人間関係、友達、仲間、、、それらはすべて、間違いなく大切なものだとわたしは思います。
ですが、大切なものを大切にしようとすることで、わたしは本来持っているハズの「自由に自分らしく真っ直ぐに純粋に生きる」ということを捨てているのです。
一生のうちでできる事は限られている。だから、大切なことが増えれば増えるほど、自由はなくなりその人の人生は薄くなっていきます。
人生の中のほんの一瞬でも自由に生きてみよう
完成した飛行機は殺戮兵器として使われると分かっていても、自由に、真っすぐに、一途に、「美しい飛行機を作りたい」という自らの想いを実現させるために、その刹那を生きた「歪んだ」天才の人生の一端を垣間見て感じたこと。
それは、この主人公が「歪んでいる」と思えてしまうわたしは、もうすでに自分の中に本来持っていたはずの「自由に真っすぐに一途に生きたい」という純粋な想いを、知らないうちに心の奥底に封じ込めて生きているのだろうな、ということです。
人の一生は短い。その刹那の瞬間に何を選択し前へ進むのかを積み重ねた結果が、今の自分の在り方を決めています。
大切なものがたくさんある中で、自分が本当に求めているもの、人生を掛けて成し遂げなければならないことはなんなのか?
あの美しい飛行機のように、あの「歪んだ」天才のように、自由に真っすぐに一途に空を飛ぶように生きることができたなら、どんな気持ちなのだろうか?
自分の人生の中のほんの一瞬でも、そんな風に生きることができたのなら、それはそれで素晴らしいことだなと思います。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!