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子どもの頃はよく観ていましたが、最近、少し前まで、日本テレビの24時間テレビを観ることができませんでした。たぶん障害を持つ人たちや、病気で自由に動くことができない人たち、ガンで亡くなった人の物語など…悲しすぎるどうしようもない運命を背負って生きている・生きていた人たちの人生を直視するのが辛かったからです。そして関係のない顔をして、自分は楽しく生きていたいと思っていたからだと思います。
 
歳をとって、家族ができて、子どもが生まれると、少しずつ物事への向き合い方が変わってきます。
 
今回の24時間テレビは、さほど抵抗なく観ることができました。むしろ色々と思考を巡らせながら興味深く観ることができた。
特に、毎年恒例のドラマは、冷静に考えればありきたりな内容とも思えるものでしたが、気がついたら入り込んでいて、泣きながら観ていました。
 
観ていて思ったことを書いてみます。

 

2013-08-26_0634

24時間テレビ2013のチャリTシャツ
嵐の大野さんがデザインだとか。

 

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健康で良かった。
障害が無くて良かった。
普通で良かった。
 
本当にそうでしょうか?
 
障害を持っている人たちは、きっと私には想像もできないような苦しさや悩みを持っていると思いますが、ただ「生きている」だけでは気づくことができない「素晴らしいこと」に、皮肉にも不自由を持っている人たちは気づくことができる気がします。「普通」と言われる人たちが感じることのできない、世の中に溢れている「素晴らしいこと」を、不自由を持っている人たちは感じることができる。
 
当たり前のように家族と過ごす日常。当たり前のように今日を生きていることとか、1年後も2年後も生きている喜び。体が当たり前のように動くことや、毎日太陽の光を浴びたり、キレイな景色を観たり、友達や恋人とくだらない話をすること…
「普通」に生きていれば普通のことであり、そのかけがえのない時間には気づかずに通りすぎていく。日常はただの、何の変哲もない日常です。でもひとたび「素晴らしい日常」に気づくと、それはかけがえのない日常になる。
 
素晴らしい日常に気づかずに健康に生きるのと、不自由だけど日常の素晴らしさに気づいて毎日を一生懸命生きるのと、どちらが本当に幸せなのか?今の私にはよくわかりません。

 

 

人生は一筆書きのたった一本の線でできています。あの時こうしていれば、こっちの道を選んでいれば…自分のこれまでの一つひとつの選択によって、今ここにこうして存在しています。二本の線は存在しない。
 
本や映画もそうですが、24時間テレビは、歩むことはできない二本目の線、つまり他人の複雑な人生のストーリーを見せることで、自分が「普通」だと感じている(むしろ普通に過ぎていくので何とも思っていない)日常は、かけがえのない素晴らしいものなんだよ、と教えてくれる役割を担っています。ここまで継続して開催されていることに、大きな意志や特別な意味を感じます。
 
本の中で語られるストーリーや他人の生きている人生ストーリーを擬似的に体験することで、一本目の線と二本目の線が横糸でつながります。自分の知らない人生につながることで、何気なく生きているだけでは感じることのできない、大切な何かに気づくきっかけになります。
 
日本テレビの24時間テレビは、私が子どもの頃は「何時まで観てた!?」とただ友達と話すネタとしての存在でしたが、成長した今は、素晴らしい役割を担っている番組なんだな〜ということがわかります。
 
それでは。
 
24時間テレビ 愛は地球を救う|日本テレビ

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