自分をすべてさらけ出したらどうなるだろうか?
想像すると恐ろしくて足がすくむ。なぜって、嫌われるのが怖いから。
ぼくには最愛の家族がいる。
だけど、すべてをさらけ出して1人の人間としてあるがままに振る舞う勇気は持てない。
家族ですら、「さらけ出せない自分」というものが存在するのだ。
家族と共に過ごす生活の中には、孤独を求める瞬間もあれば、ずっと一緒にいて欲しい、そばにいて欲しいと心底願う瞬間もある。
だから、うまく毎日をこなして生きていく。
1人きりの時間を少しでも多く確保しようとしながら、相手が思い描くイメージの中に溶け込むように振る舞う。
本当の孤独には恐ろしくて踏み込めないクセに孤独を願い、孤独を願いながらも本当はそうなるのが恐ろしいから相手に嫌われないように相手のイメージの範囲で生きるのだ。汚い人間だなと自分でも思う。
でも本当は、自分の考えていることをすべてさらけ出した上で、他人から嫌われたくないと思うのが自分という人間である。
奥の奥にある汚くて醜くて暗い本当の心に触れてもなお、1人の人間として認めて、受け入れてくれる人はいないものかと自分勝手な妄想を描く。
あるがままの自然体で生きたいのなら、自分という人間をさらけ出す勇気、孤独を覚悟する勇気が必要。
1人になるのが怖いのなら、他人に嫌われたくないのなら、他人の価値観やイメージの中で生きる忍耐が必要。
そう思い込み、たぶん今まで後者を選択しながら生きてきたのだと思う。
でも、本当に信頼できる相手を見つけたいのなら、心の底から信頼し合える関係を見つけたいのなら、孤独になってもいいという覚悟を持ち、自分という人間を臆することなくさらけ出す勇気を持つことが大切なんだと最近は思う。
あるがままをさらけ出した自分でも「いいね!」と言ってくれる人こそ本当に信頼できる人なのかもしれない。
そういう人を見つけたいなら、まずは「さらけ出した自分」の存在を知ってもらわなきゃ始まらない。
それではー!
スポンサードリンク