2016年3月に約11年間働いた会社を辞めました。
いま無職です笑。
目次
これから何をしていくの?
これからは、
1.信州のビジネスマン・ウーマンの孤独なお悩みごとに寄りそう
2.それぞれの中にある「本当の自分」を一緒に発見する
3.「主体性の火」を絶やさずにチームが1つの方向に向かって走るサポートをする
を仕事にします。
どうやってやるの?
主に「紙とペン」「対話」「ファシリテーション」「ブログ」「本」のお力をお借りして、
セミナーやワークショップやコンサルティングという形でお悩みごとに寄りそい、本当の自分を一緒に発見し、チームが1つの方向に向かって走るサポートをしていきます。
実績は?
辞めてからの実績はまだありませんが、前の会社でやっていたことをちょっとだけ紹介します。
製品評価をしてリリースできるかを判断する立場として約10回工作機械の製品開発プロジェクトに関わり、プロジェクトの横串としてチームをまとめる役割も担っていました。
最後の3年は会社のお悩みごとである「組織活性化」をするための「インナーブランディングプロジェクト」に関わりました。
対話とファシリテーションとブログを使って、
・経営層と率直な意見交換や激論を交わしたり、
・経営層と現場をつないだり、
・現場の前向きな人たちを集めた対話の場をつくったり、
・経営層と社員の本当の想いを引き出して言葉にしたり、
・会社が1つの方向に向かうためのコンセプトブックを作ったり、
・働く人たちが前向きになれるようなブログを書いたり、
・会社の歴史を調べて書き起こしたり、
・会社を支えた偉大な先輩方のお話を聞いて書き起こしたり、、、
みたいなことをしていました。
素晴らしい経験をさせていただき、本当に感謝しております。
なぜそれをやるの?
ではなぜ、
1.信州のビジネスマン・ウーマンの孤独なお悩みごとに寄りそう
2.それぞれの中にある「本当の自分」を一緒に発見する
3.「主体性の火」を絶やさずにチームが1つの目的に向かって走るサポートをする
を大野がやるのか?それは前の会社での喜びや苦しみが元になっていたと思っていたのですが、
すべては小中高時代に原体験があったのだ
とわかりました。
ではまずは会社の話。
主体性とチームの力
約10回の機種開発プロジェクトに関わった中で、もっとも強く印象に残っているチームがあります。
その時はテーマも時期もメンバーもすべて良かったのだと思いますが、1人ひとりが主体的に動き、なおかつ「製品をより良くする」という1つのの目的でつながっていました。
「自分はこうしたい!」「いやオレはこう思う!」という率直な意見交換もできるチームで、みんなが変な気を使うことなく仕事をしていた気がします。
そのままの自分で、個々が主体性を持って、チームの力を発揮する。
喜びと感動のあった仕事を経験しました。
同調圧力とか権力によって失われる主体性
言いたいことや言うべきことが素直に言えない空気を経験したことがあります。
「言っても仕方がない」「どうせ言ってもムダ」「疲れるだけ」と言って、納得していないことを言われた通りにやってしまったり、、、
組織の指揮命令系統が「権力」的に働くことがあり、上司の意見が絶対になることもあったり、、、
ぼくはそういう力にあがらう方でしたが、そうできない・しない人たちもいます。
自分がそういう目にあった時も、誰かが諦める時も、苦しくて苦しくてしかたがなかった。
同調圧力や権力によって失われる主体性。
その悲しみとか苦しみを味わいました。
孤独
前の社長と仲良くさせてもらっていたのですが、その人の「会社人としての生き方」がぼくにはどうしても納得いきませんでした。「社長とはこうあるべき!」「組織とはこうなくてはならない!」という気持ちが強すぎて、常に自分を追い込んでいた感がありました。
それはそれですごいことです。ぼくにはそんなことできない。
きっと、生きた心地がしません。
でも彼は、社会的な自分として生き、本音は見せず、立場と役割をまっとうしました。
「本当の自分」は伝わらないので、「会社人」としての冷たい面だけがひとり歩きし、社員からは勘違いされていたんです。
ぼくは彼の人間的な部分を知っていたので、誤解を晴らしたかった。
でもうまく伝わりません。解釈から生まれた解釈は、なぜか広く伝播し、強く印象付けられるんです。
孤独だなぁ…苦しいなぁ…
と。
ただただ工作機械が好きな「本当の自分」のまま生きられない苦しさを感じました。
なんとかしたいと思ってがむしゃらに動いたけど、なかなか変えることはできない。
自分の「人間的な部分」「弱さ」を一切出さない生き方は、ある意味カッコよくもありますが、同時に苦しみも合わせ持っている。「それは経営者なんだから仕方がないじゃん」と人は言うかもしれませんが、「そこに苦しみがある」ということはぼくには見過ごすことができません。
本当の自分のまま生きられない「孤独」の苦しみを知りました。
そして次に小中高時代の話。
孤独と同調圧力
小学校2年生の時に引越しをしたぼくは、転校先で馴染めませんでした。
結構辛かったですね。「孤独」でした。
学校から帰ってきたら、外で楽しそうに遊ぶ友達の声を聞きながら家で1人でポテチを食べていた記憶があります。
でも小学4年の時に仲良しの友達ができ、誘われてサッカークラブに。
よく遊びました。夜、その子の家に行って星の観察をして泊まったりしました。
仲良くしすぎたのか、元々その子と一緒にいた友達はぼくのこと(たぶん)あまりよく思ってなくて、いじめられるようになりました。
これも思い返してみると…という話なんだけど、おそらく多勢と同じにしたほうが良いという「同調圧力」で、仲良しだった子もぼくをいじめはじめたんです。
「孤独」と「同調圧力」の悲しみを味わいました。
主体性の力
んで、「こいつらと同じ中学には絶対に行きたくない!」と奮いたち笑、小学6年の時に中学受験を決意。
お父さんにお願いして勉強を始めました。毎日塾に行って、夜も勉強。
滑り止めしか受かんなかったけど笑、なんとか中高一貫教育の学校に合格。
自分からやる!と決める「主体性の力」です。
チームの力
楽しい中学高校ライフを送りました。
高校3年の夏、サッカー部最後の試合に出場。都大会2回戦で相手は確か早稲田実業。
この時、よくわからないけど「1人ひとりが言葉もなく1つの目的に向かって一緒に走っている」不思議な感覚を味わいました。
結局PKで負けてしまったのですが、負けたからというわけではなく、感動して泣いた記憶があります。
チームの力を感じる素敵な経験をさせてもらいました。
とまあ、11年働いた会社の中で感じた喜びや強烈な苦しみは、すべて小中高時代に原体験があったのだと最近分かったんです。
ここまで書いた通り、大野が、
1.信州のビジネスマン・ウーマンの孤独なお悩みごとに寄りそう
2.それぞれの中にある「本当の自分」を一緒に発見する
3.「主体性の火」を絶やさずにチームが1つの目的に向かって走るサポートをする
をやる理由は、それが自分の力の源だから。
パッションでありモチベーションだからです。
だからやります
ぼくには「孤独に寄りそい、本当の自分を一緒に発見し、チームが1つの目的に向かうサポートをする」理由があります。
だからできるし、やるんです。
まとめ
以上です。
読んでくれてありがとうございます。
それではー!