ここ3年ほど、毎年10月のはじめに東御市の農場でくるみ収穫のお手伝いをしています。
今年も行ってきました。

クルミドコーヒーの店主、影山さんのトークイベントに参加したことがキッカケではじまった年1回の行事。
ぼくはくるみの木と向き合うと、いつも過去を振り返ります。
くるみの収穫をするといつも、働き方や人との関わり方について気づくことがあります。
目次
ささっとこの3年を振り返ってみる
<2015年10月>【NABO】「今日という日を生きれてよかった」そう思える毎日を生きたい。
当時はサラリーマンとして、悶々とした日々を送っていたのを思い出します。
影山さんの「ゆっくり、いそげ」の読書会に参加して、感じることがたくさんあって、翌年11年勤めた会社を辞めています。
<2016年9月>【出張クルミドの夕べ】いま感じていることは「本当の自分」が感じていることですか?
会社を辞めて独立起業に失敗し、影山さんと出会ったネイボを運営するバリューブックスに入社していました。
<2017年10月>自分に嘘をつかないで生きるために、「おかしいな…」と思ったことはもうやめにしよう。
自分で言うのもなんなのですが、ブログを読み返すとずいぶん文章がまともになっていて、ずいぶん自然体な感じになっています。
この年は離婚をして、ずっと暮らしていた家族と離れて暮らし始めた年でした。
いろいろな感情が入り混じった、人間らしく生きた年でした。
今年のくるみ収穫で気づいたこと
そして2018年10月5日。

今回もくるみを収穫しながら自分が普段考えていることや気にしていることを冷静に見つめることができました。
くるみ収穫で感じたことを書いてみます。
1.足は敏感なセンサー
くるみ収穫は、木になっているくるみの実を竹竿でたたいて地面に落とし、ビニールシートの上に集まった実からくるみを取り出す作業です。
そのときにこぼれてしまったものや、木になっているのを見逃してしまい時間が経ってから自然落下したくるみがあります。
それらを探し出し、くまなく拾い集めよう!という作業がありました。
このとき、目はあまり役に立ちません。
くるみと同じような色をした落ち葉や土、くるみの実と同じような色をした葉っぱ。
それらに混ざって隠れているからです。
一番役に立つセンサーは「足」でした。
足で地面をこするように探ると、足の裏でくるみの固い感触をはっきりと感じ取ることができる。
目に頼っていたら「もうないんじゃないか」と途中であきらめたくなってしまったのだけれど、足をセンサーにしたとたんに、面白いようにくるみを見つけ出すことができた。

人間という生命体には、個性的で敏感なセンサーがたくさんついています。
でも、活躍する場面はそれぞれ違う。
どれか一部分に偏ったり、当たり前にとらわれていてはチャンスを見逃してしまいます。
「この場面では、どの機能がもっとも活かせるか?」
「普段は使っていないこの部分の能力を、どうしたら最大限引き出せるのか?」
活躍できていないのは、自ら制限をつくって箱の中に引きこもっている自分自身の問題です。
自分の持っている才能や力を、フル活用していきましょう。
2.自分の収穫量を気にする自分に気づく
地面に取り残されたくるみを拾っては、手にぶら下げたカゴに放り投げていました。

ある程度たまってきたのを見て「嬉しいものだなぁ」と思いつつ、せっせとくるみを拾っていた。
だいぶ重くなって来たので、皆さんが拾ったくるみを一カ所に集めるための大きなカゴの中に入れようかなと思ったとき。
なんか自分が見つけたくるみを、そこに入れることに抵抗があることに気づきました。

「ここに入れたら自分がどれだけ見つけたのか、どれくらい貢献したのか、わからなくなってしまう」
なんてことを考えていたのです。
そんなこと周りの人に知ってもらっても、主張しても、どうなるわけでもないのに。
「自分がどれだけ収穫し、どれだけ集団に貢献できているのか?」
それをまず自ら確認したいという欲求と、その先に周囲の人たちに認知してほしい!という欲求が働いていた。
他にも、誰も見つけていないくるみを発見したい!と躍起になったり。
他の人が採れないでいる高いところにあるくるみの実を自分が採ってみせたい!と密かに思っていたり。
狩猟採集時代に本能のベースが生まれたのだとしたら、こういう感情の動きはきっとぼくの祖先にとって、生き抜くうえで必要なものだったんだろうなとか思ったり。
でも、今はその時代とは環境も生きるために必要な感情もまったく違っているから、本能からくる感情の動きに惑わされず、でも感情は力強いからうまく活用していきたいなぁ、とか。
「ここにいる全員で、くるみ収穫を楽しみながら気持ちよく完了させること」というような、自分なりの目的を据えてみる。
すると、放っておけばネガティブな力を発してしまう感情でも、その活用方法が見えてくることがわかりました。
3.自分が見て感じている物事を隣の人と共有する

このような感じで、10人くらいで1本の木を囲み、竹竿を使ってくるみを落としていきます。
そのとき、ぼくには見えていないけれど隣の人には見えているくるみがあり。
ぼくには見えているけれど、それは反対側にいる人にしか採れない位置にあるくるみで、その反対側の人には見えていなかったり。
隣の人が「そこにあるよ!ほら、そこ!」と教えてくれているのに、自分にはなかなか見つけられなくてヤキモキしたりする。
それぞれ、それを見つめる立ち位置、目線、視力、視野が違う。
「そこ!」と言われても、それぞれが持っている「そこ」の距離感が違う。
相手の視点を想像して、相手に伝わる伝え方をしないと、同じものが見えてこない。
でも、隣の人が「見えてはいるけれど届かない」くるみを見つけることができて、自分には採れそうだからチャレンジして、採れた!というときのあの何とも言えない満足感。
普段、自分が見て感じている物事を、近くにいる隣の人と共有することが難しいと感じるときがある。
こんなに近くにいるのに、、、と。
けれど、何とか工夫して伝えて、同じものを見つめることができて、達成できたときの気持ちは何物にも代えがたい。
難しいことだけど、チャレンジしてみる価値はあるとわかった。
4.多様な目でひとつを見つめる
ぼくが到着したとき、くるみの木を囲んでいたのは5人でした。
しばらく作業をしているとだんだんと増えていき、ひとつの木に10人配置された。
最初は5人だったから、10の目で1本のくるみの木を見つめていた。
10人になったときは、20の目で1本のくるみの木を見つめていた。
5人のときは、ひとりひとりのくるみを見つけて落とす能力・視野・集中力によって、見落としてしまう数が大きく左右した。
でも、10人だとくるみの木全体が20の目で包み込まれている。
5人では見つからなかったくるみの実が、10人だと見つかる。

そのうえ、たとえば誰かの集中力が途切れてしまっていたり見つける能力が低いメンバーがいたとしても、それぞれ「くるみを収穫する」という目的のためにできることをやれば補い合えてしまう。
ひとつのものを見つめる目が多様になればなるほど、見えていない場所が減り、それぞれの得意不得意や誰がどれくらい貢献したかも結構どうでもよくなり、気づいたときには目的が達成されている。
「くるみの木」というひとつのシステムと向き合うことで、自分が所属するチームや集団がどのようなことを大切にすればいいかが見えてくる。
5.がんばればより美味しくなる
どんなことでも、何かにチャレンジしたあとには必ず結果がある。
その結果が美味しいご褒美となるか味気ないものになるかは、自分が「結果に寄せていた期待」と自分が「どれだけがんばったか?のプロセス」に依る。
もし、結果に明確な形で期待を寄せていたら、得られたものが期待通りのものでなかったときに味気ない。
でも、結果にこだわらず、プロセスに集中し、自分の持っているものをフル活用して「やるだけやった!」と言えたならどうだろうか?
余計なことは考えず(といっても休憩に出てくるくるみや果物にはちょっぴり期待していた笑)くるみを収穫するプロセスに集中した結果、美味しいご褒美にありつけた。

きれいな景色、澄んだ空気、美味しいお茶と梨とりんごとくるみ、温かい人と人との交流があった。



システムの力を信じる
目的を見つめることができれば、感情の力を活用して気持ちよく協力し合うことができると学びました。
結果に期待を寄せずにプロセスを大切にする、違いは多様性であることもわかった。
「今回、くるみが投げかけるテーマはなんだろう?」と考えてみたときにパッと浮かんだのは「システムの力を信じる」という言葉だった。

システムという言葉を調べてみると、
相互に影響を及ぼしあう要素から構成される、まとまりや仕組みの全体。
とか、
共通の目的やアイデンティティーを持った、相互に依存している存在/集団。
という意味のようです。
くるみは、地球というシステムの中で、土や雨や虫や鳥や他の植物と相互に影響し合いながら生きている。
くるみの収穫をしているぼくらは、同じ目的を持ち相互に影響し合いながら、くるみの木を囲む。
くるみや野菜やお米やお肉など、自然から生まれたものを収穫して食べて、ぼくらの体というシステムは動いている。
システムは複雑で、何がどうなってそういう結果が出ているのかわからないのだけれど、全体として必要性があるから働いているし、生きている。
なんでそうなっているのか?を解明しようとするのが人間の知的好奇心であり、科学であり、それらもシステムの一部だ。
そして、表面だけみるとバラバラに思えてしまうけれど、深い部分で同じ目的を共有している。

目的が合っているから目の前の人と一緒の時間と空間を過ごしている。
目的を合わせようとするのではなく、一緒にいる意味をひねり出そうともせず。
システムの力を信じることができたら、多様性もプロセスも楽しむことができるし、目的をみつめ感情の力を活用して、隣の人と協力し合える関係を築いていけると気がついた。
考えてみると、いまはたらいているバリューブックスでは「システムの力を信じる」ことを土台とした組織になっていくチャレンジをしているなぁと気づく。
<参考記事>バリューブックスがピラミッド型組織をやめる理由。 | EndPaper
今回気づいたことを、いろんな形で会社の仲間に共有できたらいいなと思う。
まとめ
くるみは、働き方や人との関わり方について「いまが本当にベストなの?」と自分の心の深い部分に問いかけてきます。
で、なんだかスッキリした気持ちでその日が終わる。
明日からまたがんばろうって気持ちになる。
「あぁ、今年も来れてよかった」
くるみ収穫のお手伝いにくると、毎年そう思います。
死ぬまで続けたい年1回の行事です。
クルミドコーヒーのみなさん、影山さん、サンファームとうみのみなさん、いつもご一緒させていただきありがとうございます。
それではー!
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