コミュニケーションをする上では、その人を「好きか」「好きでないか」はとても重要な要素である。
人の話を聞く場合に、「この人の話は信用できない」とか「そもそもこの人が嫌いだ」と思っていれば、全く耳に入ってこない。一般的にみてどんなに良いことを語っていたとしても、その言葉が心に響くはずなどないのだ。
コミュニケーションについて最近よく考えるようになった。
気になることなので、ちょっと掘り下げて考えてみたいと思う。
心に響く言葉、響かない言葉
以前、会社の仲間に心に響いた話を紹介してみた。
私が尊敬している「好き」な人の言葉を、「これ読んでみて。すごく良い言葉じゃない!?」と紹介したら、「ふーん」という反応しかなかった。聞くと、その人にあまり良いイメージがなかったそうなのである。
私にとっては心に響く話だったのだが、その人にはまったく響かないものだったのだ。
表面的かもしれないけど、テレビを見ていてもそう思うことがある。
「この人なんか嫌だな」と思う人のしゃべっているところは見たくないし、言葉も聞きたくもない。
でも「この人は好感を持てる」という人の言葉は、例え映画の台本のセリフでも頭の中に入り込んで深く考えさせるときがあるから不思議だ。
極端なことを言えば、どこかで聞いたことのあるようなありきたりな言葉でも、その人を「好き」なのか、そうじゃないのかで自分の心に与える影響が明らかに違ってくるということだ。
目の前の人の言葉(人生)はあなたが絶対にできない体験を共有してくれる
よく考えてみて欲しい。
あなたの目の前にいる人は、当然育った環境も考えてきたことも違う。で、その人が積み重ねてきた人生には、当然その人の見方や考え方でモノを捉えてきたのだから、自分が経験してこなかった貴重なエピソードが隠れているはずだと私は思う。
自分がまだ知らない「人生の真理」(というと大げさかもしれないけど)みたいなものをその人はこれから構築しようとしている、もしくはすでに持っている可能性が高い。
でも、まさにそれを話してくれているときに、その人のことを「好きではない」としたら?その人の話を疑っていたら?
目の前で起きている出会いは、出会いの意味を半減させてしまう。
これはとても残念なことである。
自分では決して経験することのない人生について疑似的にでも体験するチャンスを放棄しているのだから。
人を好きになるということ
人は誰でも、「人を好きになる」ことができるはずだと私は思う。
だって、人は基本的に、人に興味を持っているのだから。
芸能人のスキャンダルに興味を持つ人もいるし、隣人の行動を注意深く観察する人もいる。
気に入った役者や歌手がいればどんな人か調べたくなるし、魅力のある人に出会えば話したくなってしまう。
こう言う「気持ち」は、人が人に興味を持っているから起こるものなのだと思う。
つまりその時点で、人を好きになる可能性を秘めている。
思いを伝えたいのならその人を好きになることが絶対不可欠
良質な双方向のコミュニケーションは、その人が「好き」というベースからしか生まれない。
もし目の前の人を好きでなければ、疑っていれば、その人の言葉は「ただの言葉」だ。お互いの人生に良い変化は起きないし、彩りを加えることもない。
でもその人を「好き」ならば、その人の1つ1つの言葉は、あなたの人生を変え、キレイな彩りを加えはじめる。
目の前の視界が開けたり、世界が広がるのだ。
以前の投稿で、家入一真さん(@hbkr)のツイートについて考えた。
[これからのサラリーマンの働き方]本物の「コミュニケーション能力」とは? | SimpleeeLife
コミュニケーションとは、「分かり合えないという前提を理解した上で自らの態度を明確にすること」だと家入さんは言っていた。
きっと、自分の思いを伝えたいのならば、まずはその人を自分から「好きになる」ことが絶対不可欠だ。
自分のことを好きになってくれない人を好きになるのはかなり難しいと思うし、何度も言っているように好きでもない人の言葉は心に響かない。
コミュニケーションの原点は「人を好きになる」ということ。
まずはそこから始めよう。
それでは。
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