先日「2020年くらいから世界はどうなっちゃうんだろうね?」という勉強会をHanaLab.CAMPで開催させていただきました。
地元の書店員さんと小学校の先生が来てくれて、こじんまりとでしたが良い意見交換ができ有意義な時間になりましたね。うんうん。
もし何の制約もなかったら…
その中で小学校の先生に、「例えばなんの制約もなくやりたい授業を自由にやってもいいということになったら、どんな授業しますか?」と聞いたところ、即答で「遊び!」と答えていました。
これには賛否両論あると思いますが、ぼくは素晴らしい考え方だなと思ったんです。
だって、「授業は勉強がメインです」「勉強時間が減って勉強ができなくなったらどうするんですか?」みたいな考え方って古いを通り越して臭いじゃないですか笑。
受験して大学入って良い会社に就職したら一生安泰なんていう幻の時代はもう終わりかけています。
ただ大学卒業しても、社会を強く生きてく力なんて身につきません。
でもわかっていても、変わりたくない人の方が多いですから、なかなか改革に踏み込めないのが現状ではないかと。
自分みたいに余計な悩みや苦労をしないように
自分自身が良い例なんですよね。
会社で働いてそれなりに生きてく力はあるかもしれませんが、社会の中で自立して生きてく力がなかなか発揮できないのが現状です。
さらに、今の子どもが大人になるときには、仕事や職業が現時点では想像もできない状態に変化しているハズです。勉強が「うまい」からと言って社会で活躍できるワケでもなくなってきます。
「子どもたちが自分みたいに苦労しないように…」
具体的な行動がなかなかうまくいきませんが、そういう気持ちはいつも持っています。
小学校の時は「遊ぶ!」だけでいいんじゃない?
「遊ぶ」と、体験を通じて心が動くので好奇心が芽生えるタイミングが増えますよね。受け身ではなく主体的に動き出すきっかけを増やすことにつながっていきます。
人間は、感情が動いて自分から始めたことの方が間違いなく成長するしうまくなる。
「遊び」は子どもの好奇心をくすぐり、眠っている「天才」を引き出し、動きたくてウズウズさせます。
そこから、例えば「動物を育てたい!」と言って理科や社会の勉強をしたり、「うさぎに小屋を作ってあげたい」と言って算数を勉強したり、「1人ではできないから大人に協力してもらおう!」と思って手紙を書くために国語を勉強したり、、、ということでいいじゃないですかね?
自分が決めて自分がはじめたことは、未来に必ず良い影響を与えます。
花壇の中に小学校教育のすべてがある
その小学校の先生が言っていたのですが、同じ学校の中に「花壇の中に小学校教育のすべてがある」と言う先生がいらっしゃるようです。
photo credit: Poppies via photopin (license)
どういうことか?というと、生き物を育てるということは、相手の気持ちになり、慈しみ、どうやったら成長するかを考え、環境を整えるなどの具体的な行動を起こし、生まれた命に感謝をする、ということが含まれています。
こういうことに実体験を通じて気づくことで、理科はもちろんのこと、社会や算数や国語の勉強にもつながっていく。心は遊びながら、主体的に勉強をする。花壇の中で繰り広げられる学びには力があるかもしれない!と思いました。
まとめ
子どもの中に眠っている「天才」を引き出すためのファーストステップは、「子どもがどんなことに好奇心を持つか?」を知ること。
そのために、いつもと変わらない「当たり前の勉強」ではなく、少しずつでもいいから「当たり前ではない勉強」を増やしていきたいです。
学校も、保護者も地域も一緒になって考えればできそうなアイデアが出てきます。
つくっていけそうな「新しい教育」が少し見えた、良い勉強会になりました。
それではー!