まちづくりに興味のある人が絶対に参考にしたほうがいい「うんちの話」。

 
いやいや、これ大マジメな話ですよ笑。
この前、まちづくり的なプロジェクトの話し合いを、上田市にあることば屋さんでしていた時に面白いお話をしてくれた人がいたんです。
 
ことば屋は絵本がたくさん置いてある素敵な本屋さんです。
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ひげシールもある笑。(今あるかは知りません)
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うんちの話が、深い。

 
話し合いをしている場に入ってきたことば屋の常連さん?に、失礼ながら突然「○○なまちをつくるにはどうしたらいいと思いますか?」と聞いてみたんです。そしたらその人、平然とした顔つきで「うんちの話」を話し始めました。(確かこんなことを話していたというレベルですので間違ってたらごめんなさい笑。)
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なんでもそうだけど「うんちの受け皿」がないと「○○のまち」とは言えないと思う。うんちは出せないと便秘になって苦しいでしょ?出せないと不健康。だから出す場所、受け皿が必要。だけど「出してもいいよ」って場所がたくさんあって、出したい時に出せたら、健康的だし気持ちがいい。

 

例えば、オレは音楽やってるんだけど、上田は「音楽のまち」ではないと思うね。でも松本は「音楽のまち」だと思う。

 

松本はどんな音楽でも受け入れてくれるから、音楽をやる人が集まるし、そこかしこに表現をする場がある。だから「音楽のまち」って言ってもいいと思う。

 

 

んー、、、最初は何の話をし始めたのかと不安でしたが笑、とても深い話でした。

 

教育でも、音楽でも、芸術でも、本でも、何でも。
意図的に整えられたり、チェックされて評価されて判断されたりすることなく、それに関連した表現をしたい人が集まれる場所や「お腹の中にある溜まったうんち出してもいいんだ」と思える受け皿があるということが大切だという話。納得。

 

 

「芸術のまち」神奈川県藤野の話。

 
この前、神奈川県の藤野というところに行ってきたんですが(<参考記事>やりたい仕事をやらないことこそ、自分勝手なのだ。:自分にフィットする「本当の仕事」を見つけるために、天職創造セミナーに行ってみました。)、そこは「芸術のまち」で、アーティストが集まっています。まちのそこかしこにアート作品がありました。これぞまさに「受け皿」なんじゃないでしょうか。
 
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藤野は1988年から「ふるさと芸術村構想」というものが始まり、そこから多くの人が集まり、多くの活動が自然と重なり、今とても面白い場所になっている雰囲気でした。

 

日本で初めてシュタイナー学校が設立され、さらに多様な移住者たちを呼び込んでいるようです。海外からの滞在者も絶えないみたい。
 
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すべては包容力。

 
いち早く芸術家ら「人」を誘致、人が人を呼んで気がつけば神奈川県旧藤野町はエコビレッジに | ダイヤモンドオンライン
 
この記事に興味深いことが書いてありましたので引用します。

 

「県境にある藤野にはもともと外の人を受け入れる包容力や文化、風土があります。嫌だと言いながらもきちんと受け入れるのです」

 

こう語るのは、町の担当職員だった中村賢一さん。当時、「人間を誘致することで本当に藤野が豊かになるのか」といった疑問の声も寄せられたという。なにしろ、芸術家といっても卵が多く、孵化するかどうかも本人にさえわからない。それでも中村さんらは相談に来る人を選別せず、一人ひとりに真摯に対応した。

 

「当時の町長が職員を信頼して任せてくれる方だった。細かなことに口出しせず、それでいて何かあったら自分が責任をとってくれる人だった。あの町長のおかげで思いっきり仕事ができた」と、中村さんは当時を振り返る。藤野町役場には変わり者職員がたくさんいて、しかも、生き生きと仕事をしていたという。

 

うんちの受け皿の話と同じです。
すべては包容力。器の大きさが人を惹きつけ、まちが勝手に盛り上がり始めるということ。

 

 

まとめ

 
まちに大きな「うんちの受け皿」がたくさんあると、そこからまた違う人が呼び寄せられ、そのまちに違うものを受け入れる包容力さえあれば、どんどん面白いことが始まっていって、勝手にまちは盛り上がっていくのではないかと思いました。

 

安心・安定を求めようとすると、目先のリスクを考え、回避することに必死になります。「自分が良ければいい」ということになって、他者や新しいものを寄せつけようとしなくなり、できるだけつながりを少なくして、面倒が起きないように生きはじめます。

 

でも、「人生は楽しむためにある」ワケで、本当は面白いことや楽しいことを誰もが望んでいます。そして楽しいことは勇気を持って他人の「うんち」を受け入れてみることから始まるんじゃないかと思えてきました。先に他者を包容すれば、自分の「うんち」も結構出しやすくなりますよね。

 

「どんなことにも意味があり、目の前で起きていることはすべて正しい。」
そう考えれば、自分の直感にしたがって進むことも、他者や新しいものを受け入れるのもそんなに怖くなくなってきますね。

 

ついさっき、出ました。全部出た!と感じた時はマジで気持ちええ笑。
受け入れよう、誰かの「うんち」。
なんだこの結論笑。
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それではー!

 

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1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。