「誰もが当たり前に暮らせるまちづくり」は、小諸市に誕生する認知症介護カフェ「あいおいテラス(仮)」から始まる。

 
ぼくたちは恐ろしく楽天的で、何か悪いことが起きてはじめて自分事になれる生き物です。それゆえ、いつか起こり得る自分の未来についてあまり考えません。自分が認知症や要介護者になるなどとは、これっぽちも思っていないものです。

 

人間の寿命が延びれば延びるほど、認知症や介護という言葉への「自分事比率」は大きくなります。
さらに、社会との関わりが個人主義に傾いてしまっている現在、ますます他人事ではいられないのです。
<参考記事>他人事でいいの?認知症400万人時代に「人生の主人公」として生きていくために必要なこと。
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今元気なぼくたちの世代が年を取り認知症や要介護者になったとき、世界は180°くるりと反転します。
「人生の主人公は他でもない自分である」という、意識もしなかった当たり前のことが当たり前でなくなる可能性は大いにあるのです。

 

認知症になった人の家族は、恥ずかしいからと言ってできるだけ知り合いに会わせたくないと思うかもしれません。外界との接触を断絶され、肩身の狭い想いで生きる自分は、どんな気持ちなのでしょうか?

 

 

当たり前の世界を取り戻すための素晴らしい取り組み

 
自分に起こり得る未来を想像してみて分かるのは、もしかしたら今もそんな悩みを抱えていたり、生きにくさを感じている人たちがいるのかもしれないよなー、ということです。

 

で、この前知ったのですが、友達のお母さんが長野県小諸市でお年寄りや認知症の方々をサポートする「ケアマネージメントオフィス・ノア」という会社をやっていて、この方が面白くて素晴らしい人で、以前お話を伺ったときに「今度、認知症・介護系のコミュニティーカフェを立ち上げる」という面白そうなことをおっしゃっていたのです。

 

これってもしかして、認知症や要介護者の方々の悩みを解消する素晴らしい取り組みかもしれない!と話を聞いて感じました。
機会があればのぞいてみたいなぁと思い、電話してみたら「今度運営会議するからよかったら来てみてー!」と軽いノリで承諾してくれたので、場違い感を払拭するためにお土産にチョコを持参して行ってみました笑。

 

小諸市役所の近くだったので市役所駐車場に止めて向かったのですが、小諸市役所の変わりっぷりったらハンパないっすね!めちゃめちゃキレイでカッコよくなってますやん!
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市役所の上の道を駅前大通りに歩いていったT字路の突き当たりにありました。
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本格運営に入る前の会議に潜入してみて、「こんな場所が生まれて軌道に乗れば、まちも社会も良くなるハズだ!」と思ったんです。

 

知ったこと感じたことを書いてみます。

 

 

2015/10/26第5回目の運営会議

 
運営会議のメンバーは、市役所の方、作業所で働いている方、病院の看護師さんやりソーシャルワーカーさん、介護関係の方、福祉法令関係の仕事をされている方など、ぼくが普段触れ合うことのない職業の方々。いやーいろんな仕事があるんだなぁと、新鮮で刺激的でした。

 

メンバーから考えると、ぼくは完全に場違いなヤツだったので最初はドキドキしましたが、極力しれっとした顔で、邪魔にならないように座って話を聞いていた(つもり)です笑。

 

で、今回の運営会議で話されていたのはカフェでの物品販売について。
作業所でつくったものをカフェで販売しよう!ということで、どの作業所からどんなものが出品できるか?を発表し、意見交換がされていました。
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「あいおいテラス(仮)」に込められた想い

 
この認知症・介護カフェの名前は、まだ仮称ですが「あいおいテラス」になりそうなんだそうです。
で、物品販売したり絵や写真などの芸術作品の展示をしたり対話のイベントをしていくなど、「あいおいテラス」のやりたいことがなんとなくわかってきたところで、そういうことをすることでどういう場所にしたいのかな?という疑問が湧いてきました。

 

そしたらちょうどいいタイミングで「想い」についての話が友達のお母さんからありました。

 

「自分たちが持っている力を活かせる場所」
「町に住んでいる人の顔がわかる場所」
「地域の人たちが協力して何かを始められる場所」

 

にしたいとのこと。
で、最も感銘を受けたのは、

 

「老若男女、大人も子どもも、認知症であろうが要介護者であろうが障害を持っていようが、健康であろうが、地域の人が気軽に寄っていくような場所をつくることで、だれもが当たり前に暮らせるまちをつくりたい」

 

という想いでした。んー素晴らしい!

 

 

この場が持つ大きな力

 
「だれもが当たり前に暮らせるまちをつくりたい」ということについて、どういうことかを考えてみると、、、

 

認知症の人だって、介護が必要な人だって、障害を持っている人だって、みんな同じ人間なんです。
 
と、こんなことを言っている時点で、ぼくの中にある「偏見」に気づいてしまいましたが、相手がどんな人なのか「顔」を知らなければ警戒したり、緊張したりしてしまうのは当たり前のことなんじゃないかと思います。ぼくらは知らないものに恐れを感じるのです。

 

だから、誰でもどんな人でも気軽に立ち寄って話をして顔を知れる場所があったとしたら、それによって町のほとんどの人が顔見知りになったとしたら、、、どこでどんなことをやっているどんな人なのかが分かって、他の場所で会っても声を掛けられるかもしれないし、困ったことがあったら助け合うことができるかもしれません。

 

もしかしたら、今まで培ってきた知識や経験が誰かの力になれるかもしれないし、誰かを助けたり、幸せな気持ちにすることができるかもしれない。誰もが何かを持っているハズで、その能力や才能を知らないだけなのです。

 

お互いの顔を知っていて、お互いの存在を認めあえる場所。
自分の存在意義を見いだして、活き活きと活動ができる場所。
偏見を少しずつなくしていける場所。

 

そんな方向感で運営されれば、ああきっと「だれもが当たり前に暮らせるまち」になっていくかもしれないなぁーと思ったんです。

 

 

まとめ

 

まったく顔の知らない素性の分からない障害者の方と、「あ、〇〇作業所の誰々さんだ!」と分かる場合とでは雲泥の差がある、顔を知っているだけでも何か助けが必要なときの対応は全然違ってくる。

 

障害者の方々が働く作業所を運営されている方が会議の中で言っていたことが印象的でした。

 

 

認知症になっても、介護が必要になっても、障害を持っていても、誰もが「自らの人生の主人公」として当たり前に暮らせる町を目指して、小諸市相生町の「あいおいテラス(仮)」の挑戦が始まりました。

 

ぼくも、自分にできることで支援したいと考えています。

 

それではー!

 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。