それでもまだモノの時代を生きるのかい?消費し・消費される悲しい世界から脱出するために意識したいこと。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket

 
東京で大型ショッピングモールに行って精神的にかなり参りました。
自分は「人ごみが嫌いだから、人が多いところに行くと疲弊するんだ」と今まで思っていましたが、どうやらそうではないようなのです。
IMG_20151018_103122

 

 

大型ショッピングモールの持つ力

 
観光地のような人の集まる場所には、必ず何かを販売するお店が集まります。
多くの人が行き来する場所に店舗を出すことができれば、そりゃ効率がいいですからね。

 

でも、なぜ効率良くそのモノを売りたいのでしょうか?
理由はいくつかあると思いますが、この前ぼくが感じたのは「お金を稼がなければ!」という殺気とも言える雰囲気でした。

 

世の中ウマくできています。普段の生活の中で事前に刷り込まれたものが、特別な空間の中で、「観光」という浮かれた気持ちに便乗して、人間の消費欲を刺激します。未熟なぼくたち家族は、それにまんまと乗っかってしまうのです笑。
 
「何か買わなきゃ!」というざわめきが、心の中で巻き起こる。

 

もちろん、世の中に自分たちの商品を広めたいとか、使ってもらうことで生活がより良く変わっていくことを願っているという人もいらっしゃると思いますので一概には言えません。

 

だけどそのモノを生み出した人たちの手から離れた瞬間、世の中に流れる「経済合理主義」のような強力な力に引っ張られ、すべてが利益を効率良くあげるための道具に変化してしまうのではないかとも思えてくるワケです。

 

 

世界はそうやって回っているの?

 
結果、それを手に入れたい衝動を抑えられなくなって買います。
買うのは楽しいし、手に入れたものを使うことで生活が潤うこともあります。
心の隙間を埋めてくれるときだってあります。

 

で、買うということはお金が必要ですから、またその体験をしたくなればお金を稼がなければいけません。
お金を稼ぐために、その人は「経済合理主義」に乗っかり、どこかからお金を引っ張ってくる、、、

 

そのサイクルにハマってしまった人々は、各所で同じようなサイクルを繰り返し、お互いの消費欲を満たしながら生きているんじゃないかと思えてきます。それは、経済が発展し世界が回っていくために必要な1つの要素であるのかもしれませんが、ぼくは何か違和感を感じはじめています。

 

 

消費活動に疲弊せずに生きていくためには

 
そのショッピングモールを歩いているとき、「消費しろ!消費しろ!」と誰でもない誰かが連呼しているようで、なんだかめまいがしたんですわ。ぼくは人一倍周囲の声に影響を受けやすいタイプの人間なのです。

 

買い物はストレスを発散させてくれる力があるようです。例えば「お金を稼がなければ!」と毎日やりたくもない仕事に神経をすり減らしている人は、休みの日にそれを紛らわそうと、ストレス発散行動に出る傾向があるように思います。

 

日々のストレスをすぐに消すことはできない場合、どうしたらいいのだろうか?と考えてみました。

 

それは、「顔の見えない誰かの声には耳を貸さない」ということです。
言い換えると、買いたくなってしまった目の前のものについて、そこにたどり着くに至った背景を想像したとき、人の顔や想いが浮かんでこないものは絶対に買わない、ということ。
IMG_20151012_150846

 

ただ自分が消費する事だけを目的にして買うのは、どこか虚しさや冷たさがあります。
そういうものって買っても結局そんなに大切にせずに、知らないうちにどっかにいってしまい、掃除をするときに「なんだコレ?」と言って捨てられてしまうのがオチです。

 

そこで、自分の目の前に現れる前に辿った道のりに想像を巡らしてみたときに、「ああ、まずこんな人がいて(こんな人の想いがあって)、それに関わった人がたぶんこれだけいて、だから今自分の目の前にあるんだなぁ。」と感じた上で、それが欲しいと思えるものだけを買うということにしたらどうでしょうかね?

 

とにかく、同じ「買う」でも「ただ消費する」と「ありがたく買わせて頂く」とでは結果に雲泥の差があるように思うのです。

 

 

まとめ

 
クルミドコーヒーの店主である影山知明さんの「ゆっくり、いそげ」という本にこんなようなことが書いてあります。

 

 

以下は要約。
 
資本主義の力学の中で会社を突き動かす目的であり動機は、多くの場合「売上げの成長」であり「利潤の最大化」となる。となるとお客さんは目的を達成するための手段となり、お客さんを利用することになる。で、お客さんは自らの目的を達成するために会社を利用する。
 
そして、会社と社員・従業員との関係も同じ構造となり、こうして「利用し」「利用される」関係ができあがると、それが日常をもむしばんでいく。
 
人間関係を含むすべてを利用価値があるかないかで判断するようになる。

 

以下は引用。

 

相手に利用価値を求めるということは、自分も利用価値を求められるということ。

 

そうして1人ひとりが自らの「利用価値」を高めるべく常に有形無形のプレッシャーを受け続けるということは、そこにもちろん正の効用もあるにしても、常に不安と背中合わせということでもある。

 

影山さんは、「この逆を行きたい」という想いで、クルミドコーヒーを運営されています。素晴らしい人でした。
<参考記事>【本】「今日という日を生きれてよかった」そう思える毎日を生きたい。

 

「ただ消費する」という行為は、お互いを利用しあう関係を生み出し、疲弊する日々を生み出します。
そんな日々を断ち切り、なんだか分からないけどついニヤけてしまうような、「今日という日を生きれてよかった」と思えるような毎日にしたい。東京のショッピングモールで得た感覚は、「消費する」という行為について見つめ直し、人生を見つめ直す良い機会になりました。

 

それではー!

 

 

いいねやフォローをしてもらえると、シッポをふって喜びます!

          follow us in feedly      
LINEで送る
Pocket

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ