「最近やる気がでない」と甘ったるいこと言っているあなたが、最高のアウトプットを出すために必要なたったひとつの心構え

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket

 
ぼくには幸いにも、超久しぶりに会ってもその瞬間から自分の頭の中にある情報や想いをナイアガラの滝のごとく流しながらあれやこれや話ができる友人がいます。話が飛躍したり整理されたりと気持ちいいんですよね。
 
この前も久しぶりにそいつに会って話をしたんですが、その中で「人の価値観とか考え方って宗教がベースになっているのではないか?」という話から、ぼくが知っている情報と、自ら得た経験をかけあわせて、「最高のアウトプット」を出すために必要な心構えにたどり着いたので、ダラダラと書いてみます。
 
特に、ぼくのように「最近やる気がでない」と甘ったるいことを言っている方に是が非でも!聞いて欲しい話。
IMG_20150727_081835
 

スポンサードリンク






 

 

一神教と多神教について

 
例えばキリスト教は一神教です。神様は一人しかいない。
「他の神様はこんなご利益がある」なんてないワケです。
 
ユダヤ教から派生した宗教の考え方はたいてい、神様は一人しかいなくて、時間は一直線であると考えられています。人間が生まれて死ぬように、世界には必ず終わりがあって、その終わりに天国に行けるように良い行いをする、悪いことすると地獄に行っちゃうよみたいな。

 

かたや、アジアの方で生まれた宗教の中には多神教的なものが多くて、時間は回っていると考えられています。
 
輪廻転生とかよく言いますよね。形あるものはいずれ壊れるけど、それがまた生まれ変わって回っていくと。草木も春に花が咲いて散り、夏秋にエネルギーをたくわえて、厳しい冬を超えたらまた見事に命を咲かせるわけです。死んでもまた新しく生まれ変わり、ぐるぐるグルグルと世界も命も回っていくのだという考え方。

 

 

伊勢神宮とサグラダファミリア

 
日本の伊勢神宮って知ってます?20年に一度まったく同じ建物をとなりに建てて古いモノを壊して、その先の時代へと技術と想いをつないでいくらしいんです。モノも技術も命もグルグル回る前提で伝えていく。
 
一方、ガウディが建てはじめたスペインのサグラダファミリアは、まだ未完成で100年以上もまだつくっていて、いま9代目の設計責任者だそうです。時間は一直線であり、1つのもので技術と想いを伝えていくんです。

 

 

喜びが継承されることへの喜び

 
伊勢神宮みたいなのをつくっている人は、おそらく自分の手がける建築物が目の前で完成することに喜びを感じます。そしてその技術が継承されていくことで、継承する側とされる側が共感し、喜びが循環します。
 
サグラダファミリアみたいなのをつくっている人は、完成した形が頭の中に映像として写っているんです。その映像が次の世代に引き継がれる時にお互いが共感し、喜びを感じ、それが一直線に引き継がれていきます。

 

共通しているのはおそらく「モノをつくる喜び」ですが、その中に溶け込んでいる価値観はまったく異なります。そしてその違いは、その国に根付いた宗教によるものではないか?と思ったわけです。

 

どちらにせよ、実際にモノをつくることでつながり、映像や実物を共有し「自分が感じた喜びが継承されていくこと」に喜びを感じているような気がしてきたんです。

 

 

終わりを決めるとやる気がでない

 
で、最近のぼく自身の経験(いままでの話からスケールがた落ち!笑)なんですが、会社の仕事とか趣味でもなんでも終わりを決めてしまったときってやる気がでなくなってアウトプットの質がおちるんです。
 
例えば、(本当にスケールが小さくて申し訳ないのですが)以前にカラオケで歌った歌を録音して結婚する友人にプレゼントしようという押し付けがましい企画を仲間と4人でやったのですが、それが完成して達成感は味わったものの、振り返って今思うと「終わらせなければならない」という気持ちがいつしか「終わらせるためにやる」という気持ちに知らず知らずのうちに変化していたな、と。
 
仕事でも、納期があるので「それまでにやらなければならない」となる。「そこまでに終わるようにやる」となってしまい、最終的には「終わらせる」ことがだんだん目的になってくる。

 

となってしまうと、アウトプットは「妥協の産物」になります。
いや当然、限られた時間の中で生まれる美しさや感動もあるハズですが、それは一瞬のものであり、終わった瞬間に過去の栄光となるので、それを思い出したところで今を生きることはできないのです。

 

 

自分が終わりなく続けられる「本物の喜び」を見つけること

 
自分が人生をかけてやりたいとおもったこと、それに誰かが共感し同じ想いで継承されること、そんな風に一瞬でも感じることができたときのアウトプットって色んな意味で最高な気がしました。

 

「ライフワーク」という言葉があります。
人生をかけてずっとやりたい・やっていくと決めた仕事です。
仕事といっても、お金を稼ぐだけが仕事ではないですし、いろいろな種類がある。

 

その「ライフワーク」でも、その途中途中でアウトプットが生まれますが、それは「自分なりの究極」を追い求める過程で出てきたものであり、さらにより良くしていくためのアウトプットでもあります。そこには終わりはなく、続けていく意志が宿っています。

 

その想いは、もしかしたら次の世代に継承されるかもしれません。継承されるべきなにかだとその時代の人々が感じれば勝手に継承されていくかもしれない。
 
どんなに些細なことでも、自分が終わりなく続けていられること、社会的に認められるようなことではなくても心から喜びを感じるようなことが、ほんのわずかな誰かに共感され、グルグル回ったり、一直線につながっていったりしながら、ゆるやかに継承されていく喜びを感じたい。
 
というのは人間の本能なのかもしれないと思いました。

 

いまやっていることに無理やり意義や目的を見つけようとするのではなく、自分が終わりなく続けられる「本物の喜び」を見つけることが、最高のアウトプットを生み出し、ずっと継承される想いに変わっていく。
 
終わりはなく、ずっと続けていく意志が宿っているアウトプットは、「最高のアウトプット」になる。

 

自分の心に正直に生きよう。
それではー!

 

 

いいねやフォローをしてもらえると、シッポをふって喜びます!

          follow us in feedly      
LINEで送る
Pocket

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ