真田幸村ってどんなやつ?上田市に大河ドラマ「真田丸」がやってくる前に知っておきたいこと。

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はい、こんにちは。
大野です。よろしくお願いします。

 

いやー来年から始まりますねー真田丸。
主演は堺雅人さんが真田幸村役で脚本は三谷幸喜さん!
大泉にょう、じゃなかった洋さんも真田信之役で出演するそうです。
大河ドラマ「真田丸」キャスト表決定!ヒロイン・脚本はあの人!
2016年大河ドラマ「真田丸」-NHKオンライン

 

本当の名前は真田信繁と言うそうなんですが、「幸村」って名前の方が有名ですよね。
なんでだろ?
 
ちらっと子どもが持っているマンガ本を読んだり調べただけなんですが、いやー歴史っておもしろい!ってこの歳になって気づきました。
歴史って本当かどうか誰も分かりませんし、話が盛られている可能性もありますが、そんなのいちいち気にしてないで、例えウソでも鳥肌が立つようなストーリーにロマンを感じる方が幸せですよね。もーウソでもいいわ笑。
 
歴史の楽しみ方がやっと分かってきました。
 
それでは真田幸村を中心に、真田家について書いてみます。

 

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真田幸村は本当の名前じゃない

 
本当は「信繁(のぶしげ)」っていうのが正しいそうです。
 
当時の資料の中に「幸村」って名前は一切ないということ。難波戦記という読み物にはじめて「幸村」という名前で登場し、その読み物が爆発的に読まれたことで世の中に普及しちゃったもんで、様々な記録も「幸村」に変えられていったそう。
 
「幸」は真田家の通り名で、「村」は幸村のお姉ちゃんの村松とか、徳川家を呪った妖刀「村正」に由来するとの噂もあるそうですが、何が本当なのかよくわからないみたい。
 
真田信繁 Wikipedia

 

 

真田丸とは?

 
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司馬遼太郎記念館はどうしても行きたい場所より
 
真田丸とは、大阪の陣で豊臣側について入場した真田幸村が、大阪城で一番防御が手薄な場所に作った曲輪のことだそうです。
 
大阪冬の陣では、ここに徳川の兵を誘い込み大打撃をくらわせたらしいよ。

 

 

六文銭の家紋の意味

 
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死をも恐れぬ決死の覚悟を戦場での心構えとして六文銭を家紋としたそう。
人が死んで三途の川を渡るときの渡し賃、一文銭が六つで六文銭だそうです。
 
死ぬのは怖くねーぜ!って意味。

 

 

真田十勇士はホントはいない

 
江戸時代中期の小説から登場し始める架空のキャラだそうです。
でも中には歴史的な由来を持つ人物もいるそうです。
真田十勇士

 

 

生き残るためにはどんなに辛くても合理的に行動する

 
真田家が一貫して大切にしてきたのは「生き残ること」、次に「先祖代々の土地」、その次に「恩・人情」、「プライド・感情」はそのあとにきます。
生き残るために、先祖代々の土地を守るために、人質になることや家族と別れることを決断できる強い意志を持っているのです。

 

幸村の父昌幸は、
 

家紋にある六文銭にもある通り、真田氏は常に決死の覚悟を胸に秘めて戦場を駆け抜けてきた。だが、死ぬための戦は決してせぬ!生きてこそ道は開けるのだ!

 
みたいなことを言ったそうです。
 
真田はめまぐるしいスピードで変化していく戦国時代の対局を捉え、感情的になりつつも合理的に判断をし、武田→織田→北条→徳川→上杉→豊臣と主家を転々としながら道を開いていきます。

 

 

幸村の人質人生

 
敵と同盟するためには信用が必要、ということで真田家は人質作戦を連発します笑。
幸村は上杉家と同盟するときに人質として新潟で生活していたそうで。
 
その後も同じようなことがあり、幸村は豊臣秀吉の人質になったりします。
幸村、人質人生やん笑。
 
でも、これの人質作戦によって真田家は生き残り、幸村は人質になりながら素晴らしい人と出会いながら、知識と力を蓄えながら成長していきます。
まさに、「生きてこそ道は開ける」のです。

 

話では、最後の最後、幸村の子孫も敵対した徳川方の伊達家に人質として預け、もしかしたら今も真田幸村の血は誰かの中に息づいているのかもしれません。
 
ものすごい長期的な視野で捉えると、いまでも真田家は道を切り開いているのかもしれないという話ですね。

 

 

闘うと決めたら決死の覚悟

 
でもやっぱり六文銭。徳川に理不尽なことをされた時、「真田家との同盟を軽んじ、理不尽に土地を明け渡せと言ってくる徳川にはついていけん!よし、敵である上杉家と同盟して徳川・北条と闘おう!」となりました。
 
これが真田家と徳川家の関係に最後まで尾を引く運命的な決断になります。

 

 

真田幸村の最後

 
幸村は関ヶ原の戦い以降、九度山というところに幽閉されますが、大坂の陣で豊臣家に一緒に戦って欲しいという声にこたえます。
 
昌幸さんは徳川と豊臣が戦うことも、幸村が呼ばれることも見越していて、死に際に「お前(幸村)はオレより力も知恵もあるすげーヤツだけど、お前にはできない」みたいなことを言ったそうです。
 
その言葉は的中。人質人生が長く、そのときに蓄えた力が幸村を支えた側面がある代わりに、華々しい戦績を積むことができなかった。幸村はものすごい実力を持っているにもかかわらず、父昌幸ほどの発言力を持たなかったために豊臣家は幸村の作戦を聞き入れてはくれなかったそうです。

 

奮闘し、徳川家康を自刃寸前まで追いつめましたが、茶臼山の北にある安居天神で徳川方の鉄砲足軽西尾仁左衛門という人にやられ、その生涯を終えたという話です。
最後の最後は無抵抗で討たれたとなっています。

 

 

まとめ

 
真田家の信念・生き方は現代でも参考になるものです。
生き残ってこそ道は開ける!
 
歴史は本当かどうかわからないところが嫌でしたが、逆にそれが想像力をかき立て、好奇心に火をつけるのだと分かりました。
もう少し勉強してみます。

 

上田市のFBページも要チェック!
2015-05-21_0608

【お知らせ◇長野朝日放送】
長野朝日放送の番組「おぉ!信州人」
(毎月第1月曜午後7時~午後7時54分)6月1日放送分において
真田三代が取り上げられます。

かつて信州に、地方の武将でありながら徳川家康を一度ならず二度までも退け、近隣の強…

Posted by 大河ドラマ「真田丸」上田市推進協議会 on 2015年5月13日

 

子どもと一緒に勉強しよ。

 

あなたの人生も文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ