自己犠牲と忍耐を押し付けてくる大人は無視だ!溢れた分を優しさに変えて人にあげるという考え方。

 
どーも。今はまだしがないサラリーマンのオーノです。
今日もよろしくお願い致します。

 

昔の人ってよく、我慢だとか忍耐が大切だっていいませんか?
他人のために自分が犠牲になることが素晴らしいことのように語り、その価値観を押し付けてくる傾向がある気がします。でも、そんなのクソくらえですわ笑。
 
価値観を押し付ける行為には、相手をコントロールしたいという欲望が見え隠れするから嫌です。

 

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忍耐力は自分のために使うもの

 
忍耐力というもの自体は大切だと思います。でもそれは、他人のために自己犠牲を払ってまで使う力ではなく、自己実現のために自分のために使うべき力です。自分が好きなこと、やりたいこと、達成したいこと、成し遂げたいこと。そのためにやるべきことをするために使うものであって欲しい。

 

 

他人のために自己を犠牲にしてはいけない

 
「自己を犠牲にして他人のために耐え忍ぶこと」が正しいことであると思い込む世界というのは、極端に言ってしまえば戦争のときに作り出される世界になります。国のために死ぬことが正しいことだと思い込み、大切な命がいくつも失われていきました。
 
そんな社会であって欲しくはありません。
まず、大切にすべきは自分であって欲しい。

 

 

人生の軸を取り戻して本当に人のためになることをしよう

 
誰かのために生きて辛くなるくらいなら、まずは自分のために生きるべきです。
人のために死ぬなんて、それこそ誰も望んでいません。

 


 

自分という「人」が喜んだり楽しんだりすることは、「人」のためになっているということです。他人のために生きることが「正しい」ことだという価値観がべっとりと体にこびりついていて、自分が辛いのに他人のために生きてしまう人は、まずは自分自身の手に人生の軸を取り戻す必要があります

 

 

まとめ

 
わたしは、あれよあれよという間に結婚して子どもが3人できて自分の家族のためにと色んなことを諦めながらここまできました。
と、この考え方がいけませんよね。自分が心からやりたいことを見つけられないことや、自分が満たされないことを、家族のせいにして言い訳しながら生きてきたんです。
 
「自分のせいでオヤジの人生が犠牲になった」なんて子どもが少しでも感じてしまったら、子どもたちはのびのび生きられないですよね。もしかしたら生きることに罪悪感を感じてしまうかもしれませんし。

 

だからまずは、自分が満たされることを優先し、自分の心の中にあるコップが満たされていく感覚を取り戻そうと思います。
(これって自分がやりたいことをやることを正当化できた感じでいいですね〜笑!)

 

そこから溢れた分を、優しさに変えて「誰か」にあげながら生きていこう。誰かに優しさをあげることで自分が満たされるのであれば、それは素晴らしいことですよね。そしたら、最高の循環が生まれます。

 

家族のために生きること、人のために生きることは、一見素晴らしい価値のあることのように思えますが、それによって自分が満たされていないのであればはっきり言って誰のためにもなりません。

 

コップがからっからなのに無理矢理搾り出す行為は優しさの押し付けであり、それは価値観の押し付けにつながり、誰かの罪悪感につながったり、誰かの不幸につながります。

 

人生の軸を自分自身に取り戻そう。

 

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。