【Free&Create】なぜ大人も子どもも対等な自由に自発的に学べる場所を作りたいのか?

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34歳にして、自分の中の強烈な疑問と興味が集約されてきたように思います。
キーワードは、「会社」「学校」。今回も個人的なことですみませんが、自分の頭の整理のために書きたいと思います。
 
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「会社」

私は1回転職をしています。どちらの会社でも感じたことですが、サラリーマンというのは知らず知らずに自分たちが作ったつまらない規範に縛られて、それが目的を達成するために本当に必要なものなのかを吟味もせず、大切にして我慢をすることにこそ価値がある、と信じ込んで押し付ける人達の集まりのような気がしてなりません。

 

そうやって自分の中にある大切な「何か」を諦め、譲り、捨てながら、前へ進んでいくのです。集団で前へ進むためにはその「何か」を捨てて会社が大切にしていることを大切だと思い込んで、みんなと「一緒に」歩かなければならない。それは仕方のないことだ、みたいな。

 

そして、いつしかそれを大義名分として「やらない理由」を確立させていくのです。
目の前に霧がかかって何も見えない「不安」を何かのせいにして愚痴を言いながら、言われたことをやる従順な自分を正当化しながら、その場に留まることで得る「不満」を選択しているのです。

 

もちろん、これがすべてではないし、全体のために目の前のことをがんばることはとても素晴らしいことです。ですが、自分の中にある大切な「何か」を捨ててまでそれをやるのは、私からみれば「異常な」ことのように思えるのです。

 

自発的に主体的に「自分の人生は自分で選択している」という意識が考え方の根っこにあると、他者に対する不満は少しずつ消えていき、諦めることなく自分の考えや行動を変えていく方向にエネルギーがシフトしていく気がします。これはこの1年で自分自身の体験から実感したこと。

 

とまあ、そういうことが大切なんだからみんなやろうぜ!と押し付けたところで人は変わりませんし、人を変えようと思うことはとてもおこがましいことです。神様じゃあるまいし。

 

自らの力で人を変えることは不可能だと理解しています。「馬を水辺まで連れて行くことしかできない。水を飲むか飲まないかは本人次第」なのです。

 

このキーワードの中では、水面に映った自分に気づけるよう、水辺まで連れて行くことしかできない。その手助けができる技術を上げていきたいと思っています。

 

 

「学校」

人間は普遍的に、探究したい・向上したいと願い、理想の状態を追求することを欲していると言います。つまり、成長したい・変わりたいと願っているのです。そのために学びます。本来の学びとは自由なものです。学びたい!と思ったときに学ぶことが最も大切なのだと、今の自分にならわかります。

 

学校ではさまざまなことを学ぶことができます。でもそれは「システム」であり、こちらが望もうが望むまいがお構いなしに押し付けられる学びです。そして私たち親も、学校が当たり前なので学びを押し付けようとします。

 

そこには押し付ける側が忘れてしまっている意図があり、受け入れる側は思考停止にならざるを得ない「システム」によって動いていて、自由な学びはありません。

 

そうやって、人間が本来備え持っている好奇心を犠牲にしながら、学びを押し付けられ、自発性・主体性を少しずつ失っていくのではないか?それが上に書いたような「会社」の中で起きていることにつながっているのではないか?と思うんです。

 

もちろん、そうではなく自発的に主体的に人生を選択している人もたくさんいます。そういう人に会うと刺激をもらって自分の意識が高まる気がしてきます。

 

このキーワードにつながるのは、「学びを押し付けない」「学びたいと思ったときに学べる手助けをする」「好奇心」「自発性・主体性」というキーワードです。

 

子ども達が本来持っているモノを壊さずに上手に引き出す方法を考え、実践しながらその技術を上げていきたいと思っています。

 

 

「大人」「親」がひからびた価値観・常識を捨てよう

ウチの子どもの小学校の通知表に親がコメントを書く欄があり、長男・次男の先生宛に以下のようなことを書きました。

 

子どもが選択したものが「周囲の人とは異なるもの」であったとしても、それを素直に選べる勇気を育てて欲しいと思っています。小学校の中で起こる様々な出来事は、これからの人生を支える貴重な経験となるはずです。これまで「良し」とされてきた判断基準にこだわらず、子どもの背中を支えたり、押したりしてもらえるととてもありがたいと思っています。

 

この世界は、相対的に人を評価するということが当たり前になっていて、その評価のモノサシの種類も少ない。だけどそうなっていくととても生きにくいんです。でも大人たちは、そのモノサシを揺るぎないものだと信じて大切にして、相手にそれを押し付けるのです。

 

そのひからびた価値観・常識を捨てて、大人も子どもも一緒に学んでいければいいんだと私は思います。
それらを捨てることができれば、大人はもっともっと自由になり、そこに子どもの自由な学びが生まれます。それに気づいたとき、子どもは大人から、大人は子どもから学び、互いに成長していくんだと思います。

 

だから、大人も子どもも誰しもみんな対等なんです。どちらかが上でどちらかが下なんていうことはないハズ。

 

大人と子どもが対等に向き合い、自由に自発的に学べる場に、私の強烈な疑問と興味が向けられた2つのキーワードをつなげる答えがある気がしています。これを実証すべく、いろいろとチャレンジしていこうと思っております。

 

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ