ソクラテスの言う善と悪。大切なことは「良い関係性」から自然と伝わる。

 
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photo credit: Will Cyr via photopin cc

 

この前、世界仰天ニュースとかいう番組で「プロジェクトチャイルドセーフ」というチームの仕事について紹介していました。彼らは、誘拐されて海外に連れ去られた子どもを連れ戻すためにあらゆる手を尽くす集団。

 

それよりも何よりも、子どもを誘拐して海外に連れていき、人身売買をする人達。そんなことをして生計を立てている人達が信じられないし許せないな、と思いました。

 

ウチの奥さんも「なぜこんな悪いことをする人がいるのか?」と言い、2人で疑問に思ったり、うなったりしました。

 

 

純粋な「悪」はない

 
哲学者ソクラテスの
 

誰ひとりとして悪を欲する人はいない

 
という言葉を思い出します。

 

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ソクラテスは、「すべての犯罪者には、犯行に手を染めるだけの内的なしかるべき理由がある」と言います。

ギリシャ語の「善」という言葉には道徳的な意味合いはなく、ただ「自分のためになる」という意味で「善」という言葉が使われています。

逆に「悪」とは「ためにならない」という意味。
誰も「自分のためにならない」ことを欲しませんから、純粋な意味で「悪」を欲する人はいない、ということです。

考えれてみれば、善いことも悪いことも、その人の主観的判断でしかありません。
善悪を判断する基準を持っていたとして、一般的に「悪」だと分かっていることでも、その人にとって「悪」の方を選ぶしかるべき理由があれば、その人にとってはそれが「善」なのです。

ワンピースのルフィーは海軍が何としても捕まえたい海賊ですが、行く先々で英雄になっていますしね。
<参考記事>子どもに「正義と悪って誰が決めるの?」と聞かれたら、あなたはなんて答えますか?

 

主観的善悪の影響

とてもとても小さな例を挙げてみると……

道端に1000円札1枚と100円玉4枚が落ちてたとします。
ここで私が思いつく選択肢は、

①全部交番に届ける
②500円未満なら自分のものにしても良いというルールに基づいて、400円拾ってあとは放置する
③面倒だから見て見ぬ振りをする
④全部もらう

大半の人が①が善的行動であると正論を述べると思いますが、それぞれにそれぞれの善悪基準があって、そのときの状況や心情があって、「自分のためになる」決断があるワケです。

善悪の判断基準は子どもの頃に周囲の人から影響を受けて形成されていきます。
それはかなり強固な基礎になっており、その人の人生に大きな影響を与えるものになる。

そうやって考えていくと、上に挙げたような小さな善悪は優先順位が低くなってきます。

子どもに伝え教えるべき「善悪」は必ずあって、それはその人と周りの大切な人の人生に大きな影響を与えるものです。

そしてきっと、大半は言葉で伝えるものではなく、同じ時間を過ごすことで自然と伝わっていくことなんだろうなと思います。

大切な人と良い関係性を持って過ごす時間は、何にもしていなくても、他愛もない時間でも、とても大きな、意味のある時間なのかもしれないなぁと思いました。

 

まとめ

人が人へと「善い」と思うことを本当の意味で伝えていくこと。

常識とか理論で知っているというレベルではなく、じんわりと伝わって当たり前に染みついている感覚。

「頭」ではなく、「心」に伝えていくこと。

それは家族や大切な人との関係性によって成り立つものです。

 

日々の感情の動きを知り、自分にできることを、一つひとつやることしかできません。

まずは、目の前の大切な人との関係性から。

できることから、ですね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!
それではー!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。