幸せに死ぬために必要なポジティブループとは?

 
こんにちは。大野です。
30代も半ばになると、周りの変化も大きくなり、自分自身も変わらざるを得ない状況になってきます。
家族が大きな病気になったり、寝たきりになったり、ボケてしまったり、、、歳を取るごとに一歩一歩死に近づいている、いつ何時どんなことが起こるかわからない、みたいな気持ちが時折湧き起こり、心と頭の中を台風のようにグルグル回ってかき乱します。
 
そう思うと、自分が変わるのではなく、周りが変わるから自分が変わったように感じるだけなのかな?とも思う今日この頃。
 
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photo credit: chrisotruro via photopin cc

 

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人生の意味ってなんなの?

人間いつかは死ぬんです。そんなこと深く考えもせずここまでやってきましたが、周りが変われば自分の意識もおのずと変わってくるわけです。

 

人間はいつかは死ぬ、死ぬまでは生きてる、死ぬために生きてる?じゃあなんで生きてるのか?

 

自分が生きていることには何かしら意味があるはずだ、と考えはじめます。ていうかその意味っていうのは誰かが決めるのではなく、自分で決めるものだ、と分かります。

 

だって、自分の人生は自分にしか生きられないのだから、決して受け身では「生きている意味」なんて言えません。例え与えられた意味であっても、気づかされた意味であっても、その意味を全うすると決めるのは自分です。あくまで主観的なもので、やらされている感があるはずがないと私は思うのです。

 

限りある命を何に使うか?という、この世界に関わる自分への意味づけは、自分自身によって行われるものだと思います。

 

 

幸せに死ぬ方法とは?

でも、ここまで書いておいてなんなんですが、そんな風に生きてる意味についてバカみたいに深刻に悩まなくてもいいんじゃないかと。結局最後は幸せな気持ちで死ねればそれで良くって、「生きてる意味」とか「自己満足」とかは、「幸せに死ぬためのツール」みたいなものだと捉えられます。

 

現在の大野的感覚で考えると、きっと、、、
 
1.自由に楽しく自分勝手に生きることを追求しても、死ぬときは後悔する
2.誰かのために自分を尽くして、誰かの価値観の中に生きて、誰かのために死ぬ、っていうのも後悔する

 
んだろうなー、と。
 

上に書いた2つのことは、「自己満足」と「他者貢献」みたいに言い換えることができます。そしてたぶん、どちらか一方ではなくどちらも両立させることこそ、人生の最後の最後の自問自答で問われることのような気がします。

 

自分らしくあるがままに自由に好きなことをして生きることが、結果的に誰かに貢献している、誰かの喜びや感謝につながっている。で、誰かに貢献したってことがまた自分のところに戻ってきて自己満足や生きる喜びみたいなものにつながっていく。

 

そんなループが生まれると、幸せに死ねそうだな。きっと。うん。たぶん。笑

 

 

まとめ

やっぱりまずは、自分らしさとか、あるがままとか、自然体ってどんな感じなのよ?ってところからですね。私は、まだまだ自分のことがよく分かっていない。。。

 

そのときに大切なのは、前回のブログ【映画】アナと雪の女王のテーマソング「ありのままで」に隠されているウソでも書きましたが、「わがままで自由な自分」ではなく、他人との関わりの中における「ありのままの自分」ていうヤツを探すことだと思います。

 

高橋歩さんっていう人の本の中にこんな言葉がありました。

 

自分らしく生きようとするのではなく。
自分らしさなんて、どうでもいいということに気づくこと。
そうすると、自然に自分らしくなる。

 

深いねー。これが真理なのかもしれませんな。
制約の中にいる、生き生きとした自分を見つけよう。

 

参考図書

 

参考映画

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。