人生をハッピーに生きていくために大切なことは家族とのつながりから見えてくる

 
この本を読んでから、日常で起こる出来事について色々と考えさせられることがあります。
今日は家族とのつながりから考えて辿り着いた結論について。
 

 

自分と周囲の人との関係って、複雑ですよね。
家族、親戚、友達、先生、上司、先輩、同僚、後輩、などなど、、、様々な種類の関係があります。その中でも一番強く複雑な関係は、家族ではないかと思います。

 

家族とは、糸ではなく鎖のような頑強なつながりです。恋人とのつながりを「赤い糸」というようにロマンチックに表現されますが、糸はハサミで切れるけど、鎖はそう簡単に切ることはできません。切っても切れない縁とはこのことです。
 
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photo credit: Francisco Sánchez via photopin cc

 

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家族とのつながり

どんなに遠くに離れていても、家族のことは1週間に1度くらいは必ずその存在が頭をよぎる瞬間があります。普段お互いの存在を当たり前のように感じて過ごしていますが、他者の存在が当たり前になる事自体が普通ではないことなのです。

 

今私は、家族ができて5人で幸せに暮らしています。私の大元の家族は離れて暮らしていますが、じーちゃんにはあったことなし。父方のばーちゃんは死んじゃったし、母方のばーちゃんは現在88歳で元気がなくなってきています。親父は脳梗塞で倒れて寝たきりなのですが、ここへきてかーちゃんにも病気が発覚し、心配な毎日を送っています。

 

思えば、一緒に暮らしているときは「〇〇をしてくれたから、〇〇をしてあげる」とか、「〇〇をくれるから、好き」だとか、自分本位で自己中心的に家族との関係をつなげていた気がします。

 

でも、私にも家族ができて、お別れがあったり、みんなの調子が悪くなってきてやっと分かってきたこと。
それは何かをしてくれるから良いとか優しいとか嬉しいとか、そういうんじゃないんだな、ということです。家族とのつながりは鎖のように強く重たいものだけれど、家族とのつながりによって気づく大事なことがたくさんあるように思います。

 

 

見返りを求めるのは苦しい

普段どうしても、自分に何をしてくれたか?相手に何をしてあげたか?で相手との関係や距離を図りがちです。でもそうすると、逆の場合、「〇〇をしてあげたのに何も返してくれなかった」とか、「あの人は何もしてくれていないからこちらも何もしてあげない」という、常に自分の行動への見返りを求めるクセがついてしまうような気がします。

 

本人としては好意で「してあげた」けど実は他者はそんなこと望んでいなかった、なんていうことは世の中に結構あるように思います。なのに他者とのつながりに常に見返りを求めていては、それはそれは苦しい人生につながってしまいますよね。

 

 

「存在」のレベルで他者とのつながりを感じてみる

だから「行為」のレベルで他者とのつながりを感じるのではなく、「存在」のレベルでつながりを感じながら日々生きていくことができれば、どんなに素敵でハッピーなことだろうかと思うわけです。

 

身近な例えとしては、子どもです。
子どもが育つにつれ、生意気になって手も掛かるようになり、だんだんと「生まれたばかりの我が子」を抱きかかえた瞬間の感覚は薄れていきます。でも確かに、あの時は「生きてうまれてくれただけで嬉しい」と思いました。つまり「あなたが存在しているだけで嬉しい」と思ったのです。

 

誰しも、他者に対して「何かをしてくれるから嬉しい」ではなく、「何もしなくても嬉しい」という感覚を持った、もしくは自分がそう思われたことが必ずあるはず。

 

 

まとめ

見返りを求めて他者とのつながりを捉えるのではなく、ただ一緒にいること・存在していることが嬉しいという感覚を持って他者とのつながりを捉えられるようになれば、ハッピーに生きていくことにつながる気がします。
難しいことですがチャレンジする価値はありそうです。

 

家族とのつながりを考えることで見えてくることがたくさんありそうですね。

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。