【人生】後世へと想いや考えを紡いでいくために意識するべき大切なこと。

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photo credit: Sam Antonio Photography via photopin cc

 

「人生は巡り合わせと役回り」なんてよく聞きます。
巡り合わせというのは運命的なものとか変えられないものであり、役回りとは自らの役割とか使命(ミッション)を知る・決めることだと私は解釈しています。

 

持って生まれた才能や境遇・環境は、大きな枠組みで捉えれば変えられないものですが、その境遇に置かれた自分がどうするか・どうしたいかは自分で決められます。
 
変えられるものと変えられないものを知り、自らの道を決める、というのは人生をより良く生きていくための一つの方法であり、その道は「自分を知る」ことでしか切り開けないもの。
 
私にとってはまだ先のことだと思いますが、自分を知り、自らの使命を知って生きていくと、きっといつかその想いを伝えて後世へと紡いでいきたいという欲求が生まれてくるのではないかと想像します。それはなぜかと言えば、人間は本能的に成長したいという欲求を持っているからだと私は思います。
 
歴史に名前を刻み、死んだ後にも名前を残そうとする行為は、死んでしまえば本人はわからないワケですし、あんまり意味ないんじゃないかと。そう考えると名前を残すということも、後に続く子孫のためであると思うワケです。
 
例えば赤ちゃんは本能的に行動していますが、外部からの刺激を取り込みながら、どんどん成長しますよね。つまり成長は人間の本能であると言えると思います。子孫を残す、ということは遺伝子を残し、生きた証を残すこと。それは、後世にさらなる成長を託すための本能的な行動なのかもしれない、と思うと想いを伝えて後世に紡いでいきたいと考えることは、人間という集合体が成長していくためだ、というのが私的にはシックリきます。

 

 

ライフネット生命の出口会長が書いたこの本で世界史の流れを学んだのですが、歴史を学ぶ意味として冒頭にこんなことが書いてあります。

 

 

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ヘロドトスの冒頭の言葉を意訳すると、次のようになると思います。
「人間は性懲りもなく阿呆なことばかりやっている。いつも同じ失敗を繰り返している。だから、自分が世界中を回って見聞きしたことを、ここに書き留めておくから、これを読んで君たちは、阿呆なことを繰り返さないように、ちゃんと勉強しなさいよ」
すなわちヘロドトスは「先人に学べ、そして歴史を自分の武器とせよ」と言いたかったのだと思います。そしてそれは僕の思いでもあります。

 

歴史を残したい、歴史を紡ぎたいという想いの本質は、継続して成長していこうとする人間の本能的な行動なのかもしれない、と想いを馳せてしまいます。そして歴史を学ぶということは、巡り合わせ、つまり変えられるものと変えられないものを知り、より良く生きるためのヒントを得るということです。
 
だけど歴史を紡ぐということも巡り合わせです。中国であれだけ古い歴史が残っているのは「紙」という革命的な筆写材料が発明されたからで、逆にインドにはそういうものがなかったから歴史がよくわからないそうです。歴史が残るということは、偶然の産物に左右されているということ。
 
以前にも書きましたが、宗教が現在まで続いているのも「貧者の阿片」だったということと、「神様は非課税」によりお金が潤沢にあったということが偶然に重なった結果だったらしいのですから。

 

後世の成長のために、歴史を残し、想いを伝えるということは、なかなか思い通り狙ってできることではないということです。でも伝えたいと思うのが人間の本能。ジレンマですね。

 

 

上で紹介した本の中に、とても不思議でおもしろい話が書いてありますので、かいつまんで紹介します。

 

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ザラスシュトラという人が創始者となったゾロアスター教というのは、アーリア人の宗教が元になっているそうです。この民族がバクーという石油の大産地にいったときに石油が自然に発火して燃えているところを通った。当時は当然、火は火打ち石とかで一所懸命おこさなければいけないのに、ここでは巨大な炎が勝手に燃えている!で、アーリア人はこの炎を神様だと思ったのではないか。
 
このバクーに燃える炎の伝承により、ザラスシュトラは新しい宗教に目覚めたのではないかと言われているそうです。
 
アーリア人はカスピ海を南下してギリシャに入り、その後東に向かってインドに入った。そのときにバラモン教の大切な火の神であるアグニをインドにもたらした。このアグニを象徴する「永遠の火」は、仏教に入って形を変え、いまの日本まで伝わっているのではないか?と、出口さんは思っているそうです。それはつまり、比叡山延暦寺に、いまも燃え続けている不滅の法灯だと。唐から帰った最澄が延暦寺に灯してから、織田信長の焼き討ちのときも誰かが守り、今日も灯っている火。
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そこには、遠い昔のアーリア人のバクーの記憶がひっそりと伝えられているのです。

 

この話を読んだとき、なんだか心が震えました。
アーリア人はこのバクーに燃える炎を、後世に絶対に伝えよう・伝えたいと思って戦略を練り、その結果がインドの「永遠の火」、日本の「不滅の法灯」につながった、というわけではないと思います。自然に、かつ偶然の巡り合わせが重なって、今日まで伝わっているのではないかと。

 

おそらく3000年も前の話ですが、こういう風に書いてあることを読むと少し前にあった物語のように感じます。そう感じるのは、長い時を超えても人間としての本質的な部分ってそう変わっていない、というかずーっと受け継がれているからではないかと思えてくるのです。

 

伝えたいと思うことは伝わらず、本当に大切なことだけが勝手に伝わる。
歴史に名前を残したいというような表面的な欲望ではなく、本能的で本質的な生き方とか想いだけが、ずーっと後の世界まで紡がれるものなのではないかと、そう感じた次第です。

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ