誰が言ったか?何を言ったか?大切な誰かの心に届けたいなら「パーソナルブランド」を築くべし。

 
私の古い友人が、「サラリーマンにとって大切なのは、何を言ったか?ではなく、誰が言ったか?だ。」というようなことを言っていて、それがずっと心に引っかかっていました。以前、以下の記事を読んで考えたことがあるけど「ふーん、そんなものか。」で終わって、今ほど心には引っかからなかった気がします。
 
ネットでは「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」/匿名主義の信条

 

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photo credit: Ozyman via photopin cc

 

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よく知っている(もう何年も会ってないけど)友人が言った言葉は心に残り、知らない人の言葉は記憶には残ったけど心には残らなかった。つまりはそういうことなんだと思います。もうちょっと自分の中の理解を深めてみます。

 

上に紹介した記事が主張していることも、確かにごもっともです。
その人の背景を知らないからこそ、文章から勝手に想像をして「何を言ったか?」に共感することがあるかもしれません。背景を知ってしまえば、「なんだよ、やっぱりそうか。お前がそう思うのは、お前がスゴイからだろ?」と卑屈になってしまうこともあるかもしれません。

 

「何を言ったか?」の場合、その人の背景から始まり、読む人の価値観、理論的に間違いがないか、世界の状況、どれくらいの人が共感しているかなど、誰かに聞く耳を持ってもらうためにクリアしなければならないことが数多くあります。誰かがその知らない人の書いていることをいつも好んで読むのは、主張している人の人間性とか人間力ではなく、上に書いたような課題をクリアしているからです。

 

で、その人の「ブランド」みたいなものができあがる。「この人の言っていることは信頼できそうだ」と。
つまりそうなった時点で、「誰が言ったか?」に変化しているということです。最初は「何を言ったか?」だったとしても。

 

 

たとえばその匿名のブロガーの背景が暴かれてネットに晒されたとします。

 

そうすると、その人の背景と主張がミックスされ、「なんだ。そんなやつがこんなこと言ってたのか。」となって、もう書き手の主張には聞く耳を持たなくなるかもしれません。逆に、それがマッチしていると思った人はさらに共感が増し、書き手の主張は心につき刺さり、人生を変えるほどの影響を与えるようになるかもしれません。

 

そして、たとえば尊敬している上司、親友、信頼しているパートナーが、背景・価値観・理論などを当てはめた上で、「なんだかおかしなこと」を言っていても、心に残ってしまうことがあると思います。実際私にはあります。
その言葉を深く考えてみちゃったり、検証してみたり、結構長い間、尾を引くときがあります。それが学びになったり、成長のキッカケになったりするときもあります。

 

逆に、権力を振るって生きている人の言葉は、権力に興味のない私にはまったく耳に入りません。たとえどんなに世間的に良いことでも、理論的に正しくて納得のできることだとしても、尊敬していない人・好きではない人の言葉は心に響かないのです。

 

その人の信頼が高まっていく過程で「何を言ったか?」がキーになるし、信頼関係が生まれたそのあとに、主張する人が何を求めるかで「何を言ったか?」がさらに重要になる場合があると思います。

 

結局は「その言葉で何をしたいのか?」によるのかもしれませんが、どちらにしろその人への信頼=ブランド(つまり「誰が言ったか?」)が一番大切であり、すべての始まりではないかと私は思います。

 

もし、目の前の大切な人の心に届けたい何かがあるのなら、相手の人生に貢献したいと本気で考えるのなら、嘘偽りのない自然体の自分として自分らしく生きることを前提にして、「誰が言ったか?」と「何を言ったか?」両方のレベルを上げながら「パーソナルブランド」を高めていくことが重要だと思いました。

 

誰かの心に突き刺さるような、誰かの人生に影響を与えるような人は、どちらも自然と相乗効果を出していく人なのでしょう。

 

ちなみにこんな本ありました。パーソナルブランドを高めていくヒントになるかも。
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あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。