「社長」という生き方と「大泉洋」という生き方の妙。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket

 
medium_4116389731
photo credit: kennymatic via photopin cc

 

 

私(わたくし)である前にまず公(おおやけ)であれ。

 

どっかのそれなりに大きな会社の社長まで務めた人が言っていた言葉が印象に残っています。
それなりの会社の社長ともなると、なんとかデータバンクやらに家族構成などを含めた個人情報が載ってしまうらしいのです。知らなかったけど、これって結構なことだし普通に考えれば嫌ですよね。

 

スポンサードリンク




 

ほとんどすべての個人情報を世間に晒して、会社のトップとして生きていくことに何の魅力があるんだろうか、、、と考えてしまう私は一生社長なんぞにはなれないだろうと思います。
 
ただ、良くも悪くもそういう選択をして、そういう文脈で生きてきた人のことを極論で考えてみると「自分を消して社長を演じる」か、それとも「自分らしくあるがままに社長として存在する」か、どちらかになるんじゃないだろうかと考えてみます。

 

なんだか映画の俳優や役者さんが役に望む「姿勢」に似ている気がしました。
完全な役作りをして舞台に望むのか、それとも自然体な自分を活かしつつ役に自然に溶け込むのか。
 
前者は外部環境へ絶対的に適応するために自分を消していく作業とも言え、後者は外部環境に常に柔軟に対応するために自分を鍛え続ける、と言い換えることもできそう。
 
または、未来を予測し「どうしたいか?」を決めるのか、今へ接する態度「どうありたいか?」を常に持っている、とも言い換えられる。

 

どちらも「自分との闘い」だということには変わりないと思います。
ですが結局最後に残るものが「自分」という人間だけだと考えると、私は後者を選びたい気がします。

 

 

役回りが変わって演じる必要がなくなったとき、「これまで作ってきた自分」という殻を壊すのって大変だと思います。これまで作ってきたイメージを捨て、「本当の自分」になる。その立場になった気で想像してみると、恐怖です。なったこともない私がちょっと想像しただけで恐怖なんだから、実際はもっと怖いのでしょう。
 
自分が始めた会社であれば、死ぬまで社長という役回りにしがみついてもいいかもしれませんが、大抵はどこかで誰かにそれを譲るタイミングが訪れますよね。いつか必ずその役回りはなくなって、「本当の自分」に戻らなければならない。それに気づいた時に、今まで登ってきた階段をすっ飛ばして一番下まで飛び降りれるか?
 
飛び降りれなかったら、きっと最後の最後まで自分を取り戻すことはできずに後悔するんじゃないかと思います。

 

本当の自分を極める道を選んだ人は、毎日毎日、苦しい思いをするかもしれません。
だけど役回りによって自分を変える必要はないのだから、最後の最後まで本当の自分です。この場合は階段から飛び降りる覚悟は要りません。

 

 

役者さんにも、役を作って演技に望む人と自然体のまま演技をする不思議な人と両方いる気がします。
私の個人的な意見ですが、水曜どうでしょうで有名になった「大泉洋」なんかは、どんなドラマや舞台や映画を観ても、不思議と「大泉洋」そのまんまで役に溶け込んでいる気がします。
「おいおい!そのまんまかよ!」とツッコミたくなるくらいに大泉洋。だけど役者としての仕事がしっかり成立している、という妙。
 
自分を出す演技を心がけているのか、そうとしかできないのか、はたまたそういう役しか選んでいないのか、、、
でもまあ、総じて大泉洋だからそういう仕事が来るんでしょうね。そうやって生きているんだからすごいなーと思います。
そんな生き方を目標にしたいですな。

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

 

いいねやフォローをしてもらえると、シッポをふって喜びます!

          follow us in feedly      
LINEで送る
Pocket

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ