最高のパートナーとは?

 
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photo credit: iwinatcookie via photopin cc

 

皆さんこんばんは。久しぶりにブログ書きます。
ここのところ、色々あってブログを書くことに向き合えなかった。でも今日は書きます。

 

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この前、ウチの奥さんと結構なケンカをした。ケンカなんてどっちが悪いとかそういう問題ではないとも思うんだけど、まあ大抵は男の方がわるいんだろうと思う。それですごくかっこ悪いんだけど、私は目の前のドロドロとした面倒な現実から逃げ出した。目の前の大切な人と向き合うことから逃げ出したのだ。

 

逃げ出してから、これまでの人生を振り返って考えてみると、私の人生というのは逃げっぱなしの人生だったようにも思えてきた。表面的には格好がつくように振る舞って、取り繕っては来たけれど、実際に腰を据えて何かと向き合ってきたことなどほとんどなかったことに気づく。

 

何かイヤなことがあれば、自分が逃げ出すことを正当化するためにウマい言い訳を考えて、かっこ悪く見えないように取り繕ってきた。自分のことしか考えていなかったということに初めてと言っていいくらい初めて気づいたのだ。

 

 

いやいや、今日はこんなネガティブなことばっかり書こうと思っていたわけではない。つまり何が言いたいのかというと、最高のパートナーというのは自分では絶対に気づくことができない新しい自分を映し出してくれる鏡のような存在だ、ということを言いたかった。

 

誰しも、本当の自分を知るのはとても怖いこと。自分が本当は人にどう見られているか?何と言われているのか?怖くて怖くて仕方がない。だから人は、現実から目を背けたり、理由はどうあれ自分に好意を抱いてくれていそうな人を側に置いたり、自分とは違う意見を言う人や自分を否定するような人を遠ざけたりするのだと思う。

 

だが、本当は逆なのだ。心の底からより良い人生を歩みたいと思うのならば、自分をもっと良く知りたいと思うものだ。
「私は自分のことを良く知っているから大丈夫だ」なんていうのはあり得ない話だと私は思う。自分というフィルターを通して自分を見ているのに、新しい自分に気づく可能性など低いだろう。自分を好いてくれている人の意見なんかも、やっぱり色眼鏡を通してしか見れていないだろうから、本当の自分に出会える可能性は低い。

 

最高のパートナーというのは、本気で全身で、自分にぶつかってきてくれる人なのだ。それはその人を本当の意味で好きである証拠なのだと、私は思う。
そして、最高のパートナーは、ドロドロとした現実のなかにわざわざ入りこみ、逃げ出す自分にドロを投げつけドロのなかに引きずりこんでくるような人だ。知ってから知らずか、現実のドロドロのなかに本当の自分がいるということを気づかせ、ドロまみれの自分を鏡に映す。

 

でも、ドロまみれで汚くても、やっぱり自分は自分で、そいつと向き合わなければ真実は見えてこない。今日の自分を受け止めて、成長するであろう明日の自分を生み出そうと行動することしか、人生をより良くしていく方法はないと思う。

 

 

私にとっての「最高のパートナー」は、苦しくても辛くても、ドロドロの自分を映し出してくれる人である、と感じる今日この頃。

 

とまあ、こうやってウンチクを並べることも、所詮はドロドロの現実のキレイな上澄みをすくっているだけに過ぎない。人生の目的を見失わず、日常をただ一生懸命に生きようと行動し続ける人が最強であり、本当の意味で格好よく美しい姿なのだろうと思う。
明日もまた現実の中で強く行動しようと思う。

 

 

あなたには、最高のパートナーは存在しますか?
逆に、鏡になろうと思える人はいますか?その人はきっとあなたにとって大切な人です。
恐れずに行動し、自分をぶつけたいと思える相手ができれば、人生はより良く豊かになっていくハズ。

 

あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。