「生き方」を考えることは「死に方」を考えること。

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photo credit: Heavenhated via photopin cc

 

すべての人に平等に、必ず訪れるもの。それは「死」です。
人はみんな必ず死にます。誰でも。
みんな死に向かって生きています。死ぬために生きているといってもいいかもしれません。

 

死にたいと思っている人が長い間生きたり、やりたいことがまだまだいっぱいあるから死にたくないと強く願う人が簡単に死んでしまうこともあります。それが「いつ訪れるのか?」という点で、人それぞれ違うから平等ではないという考え方もあります。
 
でも、結果は同じ。「絶対に、いつか死ぬ」ということには変わりはありません。
結果は万人に平等です。

 

 

そう考えてみると、これからの人生を考えるとき、「生き方」を考える、というよりも「死に方」を考えるといった方が正確なのかもしれないとさえ思えてきます。「生き方」と言えば綺麗だし、「死に方」と言えばなんだか目を背けたくなりますが、大事なのは死を意識した上でどう生きるのか?つまり「どうやって死ぬか」という「死に方」なのではないでしょうか?
 
先ほども書いたように、死がいつ訪れるのかは人それぞれであり、惜しまれつつも早くに亡くなってしまう人がたくさんいます。いつ死ぬのかなんて誰にもわかりません。3年後かもしれないし、20年後かもしれないし、明日かもしれない。
 
だからこそ、というのも変ですが、「どう死にたいか?」という風に逆算して考える。ゴール、つまり「どう死ぬか」をイメージせずに、いま「どう生きるか」なんて考えられません。

 

 

自分の今やっていることを大きく変えるような一歩をなかなか踏み出せないのは、自分を含め多くの人に共通することだと思います。ですが、まずは「今やっていることは本当にやるべきことか?」を真剣に考えてみることが大切なんだと思います。たとえすぐに行動できなくても、本当に最後の最後にどう死にたいかを意識していれば、きっといつか行動に移せるはずです。
 
「死ぬ」ということ自体が恐ろしいイメージを持っており、神聖化されているようで、何か触れてはいけないもののように存在しているがゆえに、普段は見て見ぬ振りをしてあまり考えないようにしてしまいますが、僕たちは「人はみんないつか必ず死ぬ」という前提で、死を当たり前に受け入れることが、より良く「生きる」ために必要なことなのではないかと思います。
 
親しい人が亡くなったとき、僕らはその時だけは「死」を意識します。そのとき同時に自分の「死に方」を強く強く意識すべきなんだと思います。ただ親しい人が亡くなった、と悲しむだけではなく、自分はどう死ぬのか?つまりこれからどうやって生きるのか?を真剣に考えるべきです。それは、今生きている僕たちの責任であるとさえ、私は思います。

 

 

あなたはどうですか?
もし、たとえば、3年後に死ぬとしたら、今やっていることは明日もやるべきことですか?
私は、漫然と生きるのではなく、主体的に生きたい。
大好きな家族に囲まれながら、笑顔で死にたい。
これが、明日からの自分の生き方につながるはず。
 
それでは。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ