子どもの個性を育てるのは、親が「生まれもったもの」を信じる心。

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「個性」は生まれ持ったものか?成長過程で作られるものなのか?
 
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photo credit: jDevaun via photopin cc

 

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「生まれもったものはない。人間はゼロからスタートだ。だからしつけが大事なんだ。」という教育の考え方もあるそうだ。この場合、頼るのは生まれた後の環境と教育のみだ。でもそれだけで他にはない特別な「個性」や「自分の感覚」が生まれるのだろうか?
 
生まれもったものを否定することで、人間をゼロから「つくる」という意識につながる。もちろんある程度「つくる」ことは親や教育者の役目だと思うけど、私は「生まれもったもの」がある、と信じることが他にはない特別な「個性」とか「自分の感覚」につながるんじゃないか?と思う。「生まれもったもの」を否定するということは、「個性」を否定するということだ、と。

 

例えば、「個性などいらない」というのは軍隊的な考え方であり、私はそこに違和感を感じる感覚を持っているんだ。これはどこで手に入れた感覚かは分からないけど、今私はそう思うし、その感覚に違和感はない。
そういう風に、いろんな言葉を頭で処理するのではなく自分の心に聞いてみる。そのままスッと心に入っていくなら、それを信じてもいい。だけど少しでも違和感を感じるのなら、それは今生きている世界の常識がそうなってしまっているだけで、その中で我慢している自分がいるということだ。
 
そういう自分の感覚を大切にして生きていく。
これは、自分の中にある「個性」を認め、信じているからこそできること。
違和感を感じ、信じるものが他にあるのに、世間からはみ出すことが怖いのは自分の中にある「個性」を強く信じていないということ。
 
生きる上で必要な最低限のことを教えるのは、生まれた後の成長する環境や教育である。
そのなかで親や教育者が「生まれもったもの」があると信じて「個性」を大切にしようと思う心がなければ、子ども達は常識の中で違和感を口にせず、窮屈に生きていくことになってしまう気がする。

 

おかしいと思う心も、何かによって作り出されているだけかもしれないし、常識なんてものも誰かが勝手に作り出した都合のいいもの。だとしたら何を信じて生きていく?
 
それでは!
 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 現在、長野県東御市というところに住んでいます。 東御市は青空がキレイなところで、とてもいいところです。 毎朝欠かさずにバターコーヒーを飲んでいます。 みなさんにも飲んでもらいたくて、毎週水曜日、上田市にあるNABOで淹れております。よかったらどうぞ^ ^