我慢するなら結婚するな。

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以前に働いていた職場で「結婚とは我慢することだ」と言っているおじさんがいた。

そのときぼくは結婚生活を送っていて、結婚における幸せと不自由さのはざまで葛藤していた時期だった。

友達と遊びたい自分と、帰りを待ってくれている嫁さんと子ども。

いい夫いい父親なら「こうあるべきだ」という先入観と、素直で等身大のままで生きたい自分。

・・・

当時のぼくは、おじさんの言葉に「確かにその通りだ」と共感したと同時に「だったら結婚なんてするなよ」と思ったのを覚えている。

 

幸せのために我慢をするっておかしくないか?

ところで、日本における結婚は「一夫一婦制」である。

それは、

1.嫉妬と束縛の感情を正当化し、男女それぞれの心が安定するように

2.獲得した資産を分散させず、子孫が安定的に繁栄していくように

という、昔から日本人に根付いている文化や感情や宗教的な流れの中にある、願いや理想をルールにしたものなんじゃないかと思う。

 

結婚することによって、一夫一婦制が当たり前のように二人の間のルールになる。

そして、男女の精神的な距離、親や友達や世間の目、離婚するときの法律上の手続きやお金のこと、子どもの将来のことなど、たくさんの心配や不安なことが「そういうのやめたほうがいいよね」って具合に、ルールを守る方向に引っ張ってくれる。

このルールとルールを守らせようとする圧力は、強力だ。

だから、何も考えずに「普通、結婚ってするもんだよね」「結婚しないと幸せになれないよね」とか言って結婚を決めてしまうと「幸せになるために我慢をする」という本末転倒なストーリーになっていくのだとぼくの経験は語っている。

 

素直な自分のうえに人生を築く

ぼくはなにも考えずに22才で結婚した。

子どもも生まれて、幸せだった。

苦しいこともあった。

いろんな葛藤があった。

いろいろあった末に、「二人の幸せのために結婚したのに、我慢をしている自分は幸せではない。幸せになるために我慢をするのはおかしいな。」と思い、37才で結婚生活をやめた。

いまは我慢のうえに幸せをつくろうとする生活ではなく、素直な自分のうえに生活を人生を築きはじめている。

 

結婚する前に、自分のことだけとことん考えろ

一度結婚した相手とは、そう簡単には離れられないようになっている。

相手との精神的距離、親や友達や世間の目、子どものことなど、一緒に人生を重ねた分さまざまな力が働くから。

「なんかちょっと生きにくいな」「もしかしたら違うかもしれない」と途中で気づいたとしても、婚姻届けを提出し、世の中に宣言したあとは「いやあ、やっぱりちょっと違ったから、やめましょう」なんて気軽に言いだすことはできない。

だからこそ、結婚を決めるなら絶対に自分を我慢させてはいけない。

我慢せず、そのままの自分で生活をともにできる状況をつくっておきたい。

相手との関係性、お金のこと、生活するうえでやらなければならないこと、子どものこと、すべてを整えておきたい。

自分の経験からそう思っているのだけれど、

「そんなにたくさん整えておかなきゃいけないなら、結婚なんてできないじゃないか」

と言われるかもしれない。

そんなときは、たったひとつだけでもいい、これだけは必ずやっておいたほうがいいことがある。

それは「結婚前に、自分のことだけとことん考える」ということだ。

 

一夫一婦制を理想とする人のウソ

吉本ばななさんの父、吉本隆明さん著『超恋愛論』にこんなことが書いてある。

自分の親とうまくやってくれるかどうかを気にする人もいるでしょうし、自分が仕事をしやすい環境をつくってくれるかどうかを選択基準にする人もいるでしょう。あとは、人さまに「いい人と結婚した」と評価してほしいとか。多かれ少なかれ、こうした要素を入れて相手を選んでいるわけです。

相手を見るときに、いわば先入観のようなものがあるわけですから、本当に自分に合う相手をなかなか見極められない。こうした状況の下では、間違うのが当たり前、一生添い遂げられないのは当たり前、ともいえます。

 

「死ぬまで一夫一婦が理想だ」と考えている人はけっこういると思う。

でも、本当に自分に合う相手ではなく、自分が持っている先入観によって相手を見つけ結婚したとしたら…

もう一度、以下に吉本隆明さん著『超恋愛論』から引用する。

離婚も浮気もせずに一夫一婦制で行っている夫婦もいるでしょうが、それは相当いろんなことを我慢しているんじゃないかと思います。

離婚に至らなくても、「間違えたな」「これはちょっと失敗したかな」と思いながら、生涯行くわけです。

ぼくはいつも思うんですが、インテリどもの社会ほど、一夫一婦制ではないんです。表面的にはそうなっていても、男が外に女の人を作ったりとか、女性を買うようなことをしたりとか。

そういう、「ずる」みたいなことをしながら、表面的には少なくとも夫婦別れをしなかった、というのを”最後まで添い遂げた”ということにしてしまう。たいてい女の人のほうが我慢しています。

 

結婚を決める前に、わがままになれ

本当に自分に合う相手を見つけるためには、「本当の自分は何を大切にしているのか?」を知っていなければならない。

「目の前にいる相手を選んだ理由のなかに、先入観は混ざっていないか?」

「混ざっているとしたら、自分はなぜその先入観を大事にしているのか?」

「自分が死ぬときに後悔しないために、いま大切にしなきゃいけないことはなにか?」

ある意味、究極にわがままに、とことんまで自分のことだけ考える。

で、それだけやって目の前の相手を選び、お互いが認め合い、結婚するならぼくはいいと思う。

とにかく、結婚すると決めるなら、我慢は禁物だ。

途中で別れる決断をする人は少ない。

「”最後まで添い遂げた”人生のその中身は、我慢の連続だった。もっと自分らしく生きたかった。」なんてことになれば、死ぬ間際に後悔する。

 

まとめ

結婚は、「しなければならないこと」でも「そうしないと幸せになれない」わけでもない。

選択可能な制度であり、男と女が幸せになっていくためにある「形」だ。

自分たちの幸せのために、結婚を使うのがいい。

とことんまで自分を知るために使えばいいし、男と女が自分たちのことを知り尽くすために使えばいい。

とことん、二人で話し合い、お互いの考えをさらけ出すために使えばいい。

世間が作っている結婚という枠の中で生きる必要も、結婚にくっついてくるルールに従うことも、ない。

勝手に世の中の空気に合わせて、勝手に枠にハマって、勝手にルールに縛られて。

そうやって我慢して、その我慢のうえに結婚は成り立つんだと言ってしまうくらいなら、結婚なんかするんじゃないって言いたい。

自分を殺して我慢して、辛くなった自分の上に幸せを築くような結婚だったらするんじゃない、ってことだ。

そしてこれは、結婚だけではなく仕事でも親兄弟との関係でも学校でも、人間関係を築くうえでどんなことにも当てはまることだとぼくは思っている。

ぼくは22才で結婚し、37才でバツイチになった。

はじめての結婚を通じて、人間関係についての多くのことを学んで、いまは以前よりも少し臆病になっている部分もあるし、わがままになったなぁと思う部分もある。

ただ、我慢しない・自分にウソをつかないってことは、いつも心がけている。

それでもまだウソをついて逃げていることもあるのは、わかっている。

生きていくということは成長しつづけるということで、成長し続けるということは毎日修行するってことだ。

人と関わって何かをするときは、ぼくにとっては成長と修行の場だ。

自分の先入観と感情の動きに気づき、自分の頭の中で生まれる言葉をよりよいものに変えていこう。

 

「我慢」の意味

ちなみに「我慢」という言葉について調べてみると、、、

一般的には「耐え忍ぶこと」「辛抱すること」という意味だけど、仏教語では「自分に執着することから起こる慢心」を意味しているそうだ。

結婚における「我慢」は、まさに自分に執着することから起こる慢心だ。

自分が良く見られたいとか、世間から正しい行動をしていると思われたいとか、そういう理由で自分のために我慢をするのだと思う。

 

<参考にした本>

 

そこのきみ。

そういうことなんで、結婚するって決めたなら絶対に我慢すんなよ!

それではー!

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 現在、長野県東御市というところに住んでいます。 東御市は青空がキレイなところで、とてもいいところです。 毎朝欠かさずにバターコーヒーを飲んでいます。 みなさんにも飲んでもらいたくて、毎週水曜日、上田市にあるNABOで淹れております。よかったらどうぞ^ ^