食べる・働く・恋をする。すべてにおいて、ぼくらは脳にだまされる。

38歳になってようやく「素直に生きる」ことの大切さに気づいた大野です。

「素直に生きる秘訣」みたいなものがあるとしたら、「食べること・働くこと・恋をすること」について見直すことだとぼくは答えます。

「自分は脳にダマされてきた」ということが、この3大要素を見直してみることでわかります。

ノウはココロとカラダをダマすのが上手

頭がいい人ほど、賢いノウ(脳)にだまされます。

賢いノウは、ココロ(心)とカラダ(体)をだますのが上手いのです。

食べること

食べることは生きることで、いい食事をすることが自分を活かすことにつながります。

あなたもぼくも、自分が食べたものでできている。

ただおなかを満腹にするために食べているわけじゃない、というのをまず理解しなければなりません。

ノウは体をダマしている

ノウは糖質を食べれるだけ食べようとします。

というのは、いまから約1万年以上前の人間は、糖質は木の実や野草に含まれる微量な炭水化物から摂るのが主だったことに由来します。

ごくたまーに、糖質たっぷりの果物を食べることができたんです。

果物は超ゼイタク品。

その貴重な糖質をなんとかエネルギーとして貯蔵しようと、インスリンを出して中性脂肪としてカラダに貯めておく術を、人間は進化の過程で編み出したのです。

原始の時代から、脳は糖質を欲しがり続け、その欲求はノウに刻まれました。

「糖質を摂れば幸せを感じる」ようにプログラミングされたのです。

人類が誕生したのが約700万年前で、狩猟から農耕にシフトしたこの1万年くらいの短い間で、いまや世界には糖質があふれています。

おにぎり、パン、ケーキ、うどん、パスタ、甘い清涼飲料水、、、いつでもどこでも、手軽に手に入る糖質。

ノウは目の前に糖質が現れれば、幸せを感じたくて「その糖質を絶対に食べろ!」と指令を出すんです。

昼食をたらふく食べたばかりで休憩したいカラダのことなんか、気にもかけずに。

食事とはカラダを活かすこと

実際、農耕社会が始まる前の人間は、ほとんど糖質を摂らずに人間は生きてきたんです。

ノウにだまされて、必要以上に糖質を摂ってしまっていることを知っておいた方がいいです。

食事はノウのためにするのではなく、活動するために必要なエネルギーに変えて運んでくれている、カラダのためにするものだとぼくは最近思っています。

血糖値を急激に上げるような食べ物、消化が良くない食べ物、胃腸がビックリするような食べ方、カラダが休みたい時間に食べること、、、

例えば、お酒を飲んだあと、眠る直前に食べるラーメン。

例えば、イライラしたときにドカ食いしてしまうチョコレートクッキー。

これはノウが欲しがっているだけで、実際カラダは欲していません。

意識して避けなければ、避けるための仕組みをつくらなければ、ノウにダマされ続け、カラダが早めにイカれてしまいます。

賢いノウにダマされて、ノウが欲するものを欲するときに食べることは、食事とは言いません。

カラダを活かす良い食事を心がけたいものです。

働くこと

働くことも生きることで、いい仕事をすれば生きている実感を得たり、仲間とつながり、充実した人生を送ることができます。

ところがノウは、欲を満たすために仕事をするように、ココロをダマして仕事をさせようとします。

ノウがおいしいと感じる食べ物を食べられるように。

ノウが満たされる暮らしができるように。

変化を嫌い、同じ場所や同じ仕事に留まるように、いまの生活を守るようにとノウはココロに言い聞かせます。

ノウはココロをダマしている

何かモヤモヤする、何だかいつも嫌な気持ちになる。

それでも、

「いまの仕事を我慢してやれば、いいんだよ。」

「いまの仕事を辞めて、新しいことを始めて、失敗したら満たされた生活は続かないよ。」

「変化は怖いよ、大変だよ。」

と。

賢いノウは、ココロが辛いと悲しいと言っているのに、そんなことはお構いなし。

自分の欲求さえ満たせれば、良いのです。

働くとはココロを活かすこと

「何のために働くか?」

「何のために仕事をするか?」

と聞かれれば、ぼくの最近の考えで言えば、

「人とつながるため」

であると答えます。

仕事は「仕える事」と書きます。

自分にできることで、人の役に立つことをしたのなら、仕事になります。

「お金が発生しなければ仕事じゃない」とは思いません。

お金が稼げなくても、仕事は仕事です。

人の役に立つことをして、結果として、その感謝の形としてお金と交換しているというだけだと思っています。

会社の中で働くなら、会社の仲間とつながって協力し、提供するサービスをより良いものにして、必要としている人に手渡す。

感謝の形としてお金が帰ってくる。

そうやって、仲間やサービスを必要としている人とつながっていく。

人との気持ちの良いつながりをつくるために、働くのです。

人との気持ちの良いつながりは、ココロを活かしてくれる。

ただお金を稼ぐため、良い生活をするため、自分のためだけに働くことは仕事とは言いません。

ココロを活かす良い仕事をしたいものです。

恋をすること

恋をすることも生きることです。

大好きな大切な人と、深く深くつながり、ありとあらゆるものを分かち合う。

好きな人と一緒に過ごすだけで、人生は充実します。

抱き合ってひとつになったときの幸福感は、ハンパないですよね。

生きてる実感を得ることができます。

ところがノウは、「傷つきたくない」という恐れから、カラダとココロをダマして恋することを阻んだりします。

失恋したとき、セックスを拒まれたときの落ち込み度合いは、ヤバいですよね。

ネズミでさえ、交尾を拒まれると傷ついてストレスを感じ、暴飲暴食に走るそうです。

ココロとカラダは恋とセックスを求めているのに、ノウは傷つきたくないので、安心安全なバーチャルの世界に閉じこもろうとしてしまうのです。

ノウはココロとカラダをダマしている

人は、孤独でいることの恐怖に打ち勝つことができないクセに、傷つきたくないノウの言いなりになって異性と素直に仲良くなることを阻みます。

「あ、あの子キレイな脚しててカワイイ」

「あの人、胸板厚くて顔もカッコイイ」

そう思ったら恋のサインなのですが、なかなかそれだけで仲良くなれないのが日本人の奥ゆかしいところです。

「いやーあんなにキレイなんだから彼氏いるよな」

「カッコいいから絶対モテるし、自分には釣り合わないな」

「カワイイ・カッコイイ人は性格悪いって言うし」

すべて勝手な解釈で、実際問題話してみたり付き合ってみないとわからないものです。

でも、ノウは怖いので、勝手な解釈を膨らませてココロとカラダにストップをかけるのです。

ノウは自分が傷つかなければそれでいいのです。

恋をするとはココロとカラダを活かすこと

本当は、孤独でいたくなくて、ただただ恋をしてひとつになりたいのに。

ルックス、年収、性格、学歴、今の仕事、、、いろんな情報を手に入れて判断したがるのは、ノウが怖がって「踏み出さないほうがいい」と言い訳しようとしているだけです。

だけど、素直に恋をしてひとつになるだけで、ココロもカラダも素直に喜ぶ。

ひとりの人と、ほんの一瞬でも深くつながることは、どれほどうれしいことか。

それが、次世代をつくる人材へとつながっていく可能性だってあります。

人との深い深いつながりは、ココロとカラダを活かしてくれる。

ココロとカラダを活かす、良い恋をしたいものです。

まとめ

食べる・働く・恋をする。

本当は、ノウにだまされることなく、ただ素直に、ただただ純粋に。感じるまま無邪気に行動すればいいのです。

ココロとカラダに素直に行動することに、悪いことなどひとつもなくて、思い込みはノウが作り出したルールです。

「ぼくらはノウにだまされている」

それくらいの意識で毎日を過ごした方がいいかもしれません。

だけど、ノウは敵ではなく自分そのものなので、ココロとカラダと分かり合うことさえできれば、とても強力な味方です。

ノウとココロとカラダ、すべてが素直に協力し合えるように、意識してまいりましょう^ ^

それでは!

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。