「脳にいいこと」だけをやりなさい!(茂木健一郎訳) 「許す」ことは自分を開放するということ。

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この本、読みました。
 

 
その中の一節。
 

許しは自分を癒し、自分に力を与えること。

 

正直「なんか宗教みたい」って最初は少し抵抗がありましたが、ここに書いてあるエピソードを読んで感情が揺さぶられました。(つまり、泣いたということですね。笑)
本の著者には申し訳ないかもしれませんが、紹介したいと思ったので本の中から完全コピーで引用させて頂きます。
 
2013_ 3_26_ 6_47
 


 

 

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メアリーの物語「本当の自由を手に入れるということ」

約20年前のこと、私の人生において、最大級の衝撃を覚える事件が起きました。
家の電話が鳴ったのは午前3時。嫌々受話器をとると、長男の声が聞こえてきました。
「母さん、どうしよう!ロビーが死んじまった!」
18歳の末っ子が銃で撃たれたというのです。
目の前が真っ暗になりました。ロビーが死んだ、ですって?
やり場のない、打ちのめされた感覚。—-絶望。
心臓は早鐘のように打ち続けました。

その後、息子を殺した若者ショーンは殺人罪で捕まりました。ロビーとは顔見知りで、口論になって撃ってしまったというのです。審問会が開かれるまでの3ヶ月間、私はショーンに会うことも話すことも許されませんでした。それは正しい処置だったと思います。もし彼に会っていたら、怒りに突き動かされて何をしたかわかりません。もしかしたら、思わず相手の首を絞めていたかもしれません。ようやくやってきた審問会の日、私は初めてショーンを目にしました。彼を一目見たとたん、私の身体を煮えたぎるような怒りが駆け抜けました。

「なぜあんなことしたの!」

評決はその場で下り、予想通り20年から50年の刑が言い渡されました。審問会が終わると、判事は「ショーンに会わせるので部屋へ来るように」と言いました。職員の後ろについて判事室への廊下を歩くとき、心臓の鼓動が一歩ごとに速くなるのがわかるのです。
ようやく息子の命を奪った人間に会うのだ。ずっとこの時を待っていたのだ、私の気持ちをぶつけるときを。あの男にどんな罵詈雑言を浴びせてやろうか。怒りと憎しみでいっぱいで、私にはそれしか考えられませんでした。

ボディ・チェックを受け、小さな鏡板張りのオフィスへ通された時に見たものは、部屋の隅に立っているショーンでした。それはオレンジ色の囚人服を着て、手足を縛られ、頭をうなだれたまま身体を震わせて泣きじゃくっている20歳の男の子でした。彼は1人のさびしい青年でした。親も友達も、支えてくれる人もいない独ぼっちの男の子、どこかにいる別の母親の息子なのです。

私は職員に、ショーンに近づいていいかと尋ねました。ショーンはそれを聞くと目を上げて、涙に濡れた幼さの残る顔をこちらに向けました。

「ショーン、そばに行ってもいい?」

ショーンがうなずいたので、私は職員にうながされ、ショーンのそばまで進みました。次に私がとった行動に、私自身も含めてその場にいた全員が驚いたのです。私はショーンの身体に両腕を回し、彼を抱きしめました。ショーンは私の肩に顔をうずめてきました。誰かに抱きしめてもらうことなど初めてだったのかもしれません。私の怒りと憎しみは、この瞬間にスーッと離れていきました。

「ねえ、ショーン、あなたを許すわ」

ショーンは驚いたような顔を上げ、私の目を見つめました。

「ロビーが天国ではなく刑務所に行くのだったなら、私はもっと辛かったと思うの。あなたのために毎日祈っているわ」

私はショーンに手紙を書いて欲しいと頼み、職員に付き添われて部屋を出ました。
どんな評決が下ろうと、もう私の息子ロビーは帰ってこないのです。ただ、もう1人の青年の人生が、刑によって奪い取られただけなのです。私の行為を理解できないという人もいます。しかし、私はけっしてショーンの罪を見逃したのではありません。「許す」とはそういうことではないと思うのです。

あのとき彼を許したことで、私は心の奥に渦巻いていた憎しみと復讐心から逃れることができました。自由になり、心の平安を取り戻し、生きる力を得て、ロビーの死を受け入れることさえできるようになったのです。

憎しみはどこかで断ち切らなければ新たな憎しみを生むだけでしょう。
私の憎しみは、私で終わりにするのが一番だと、そう思うのです。

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許すことは悪事を見逃すこと、許せば再び傷つけられる、悪いことをした人間は罰せられるべき、、、
「人にまた傷つけられたくない」という気持ちが原点にあり、悪事を見逃してはいけないとか悪いことをした人間は罰するとかっていうルールができて、それが当たり前のように心に植え付けられる仕組みが無意識にできあがっているのだと思います。
 
そりゃ、誰でも傷つけられたくないですよ。傷つかないために「守る」というのはもう反射ですよね。
だけど、「本当の許しとは相手のためにする行為ではなく、自分の心の縮小を抑えるための行為なのだ」とこの本には書いてあります。
許すことによって、心に溜めた悪意や怒りを放出し、心の自由を得ることができる、と。
 
私も小さなことで経験がありますが、怒りを感じると、その人がどれだけ悪いかをずっと考えたり、自分を正当化できる理由をずっと探したり、どうやって他の人にわかってもらうかをずっと考えてしまったりします。
これはよく考えると、怒りによって焦点を絞られ、一つのことにとらわれて「心を縮小」させられていくということだったのだとこの本を読んで気づきました。

 

「許す」という行為は、私は相手のためにすることだとずっと思っていました。
悪いと思っている人が「謝る」ことではじめて「許す」という感情が発生する、と。
関係を修復するために、傷けられた心を少しでも癒すために、謝って、許す、というのが私の中の「常識」でした。

 

でも今回のメアリーの物語では、相手とは元々関係がないし、何より自分の心を本当の意味で癒すものは、もう叶わないこと。
相手の青年がどんなに謝ったって、どんなに思い罰を受けたって、どんな仕打ちを受けたって、一番望むことは叶わない。そしたらどうしたらいいのか?

 

 

人を許すということは、本当に難しいことです。もし例えば、私が息子を誰かのせいで失ってしまったとき、本当にその人を許すことができるのか?できない気がします。だけど怒りや憎しみに心を囚われて生きていくことが、本当に最良の道なのか?自分が望む道なのか?失った人が望むことなのか?
もう考えただけで頭がおかしくなりそうですが、、、
 
でも結局は、自分なんだと私は思います。
怒りに生きることなど、本当の自分は望んでいません。
自分自身と真剣に向き合うことで出した答えなら、正しいのだと思う、というのが今の私の結論です。

 

最後に、アウシュビッツの生存者エヴァ・コールの、ナチスに対しての許しの言葉が書いてありましたので引用します。彼女の境遇については、Wikiか何かで調べてください。私には書けませんでした。

 

人は過去の苦しみから逃れて生きる権利を持っています。ほとんどの人にとって、許すことには大きな障害が立ちはだかりますが、それは世の中が復習を期待しているからです。犠牲者を忘れてはなりませんが、私が苦しみと怒りをもって生き続けることを、亡くなった家族が望んでいるとも思えません。
 
私は自分のために許すのです。許しは自分を癒すこと、自分に力を与えることです。奇跡の薬と呼んでもいいでしょう。お金はかからず、効果絶大で、副作用もない薬です。

 

「まず自分から許す」ということ。
今日から少しずつ、練習してみようと思います。
 
それでは。
 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ 2016年3月に長年勤めた工作機械メーカーを退職し、「独立して生きていく」ことを目指して出発しました。 文章を書くこと、子どもと触れ合うことが大好きです。 「相手の望んでいることを120%理解し、自分にできうる最高のパフォーマスンスを発揮する」ができる人間になることが、2016/8〜3ヶ月の目標。 最終的には「人の中に眠っている力を発見し、引き出せるヤツ」になりたいと思っています。 よろしくお願いします! 好きなこと: 歌(カラオケ)/ブログ/読書/ノート/旅/キャンプ